コーダ☆マインド

耳の聞こえない親を持つ聞こえるシオンが考える、コーダのことや手話のこと。

【ろう児教育支援29】「はみ出しちゃった!」

f:id:codamind:20211008222434j:plain

図工の時間。
粘土を使って作品を作ったり、クレヨンを使って絵を描いたり、ハサミを使って切り貼りしたり。
道具を使い、作品をいろいろ作りました。
子どもたちの机の中には「おどうぐばこ」というものが入っており、そこには、のりやハサミ、セロハンテープ、クーピーなど、様々な道具が入っています。
ちなみに「道具」という手話は一般的にはありません。
辞書には載っているかもしれませんが、実際に使われる場面を私はほとんど見たことがありません。
手話の場合、「ハサミ」や「のり」と具体的に物を伝えます。
(上位概念・下位概念については、また別記事で書けたらと思います。)
しかし「おどうぐばこ」は「おどうぐばこ」以外の何物でもありません。
学校生活でほぼ毎日出てくるこのことばは、非常にやっかいでした。
「おどうぐばこ」と指文字と口形で伝え、そのあとに「おどうぐばこ」の形を手で表して伝える(CL)という方法でなんとかしのいだ感じです。
この「おどうぐばこ」は卒業するまで使い続けるもので、きれいに使っている子もいれば、6年間でボロボロになってしまう子もいました。
小学校では、様々な道具を使うことで手先の器用さが成長していきますし、集中力も身につきます。
道具を管理することも学習の一環です。
学校というのはこういうところも育てていく場所なのだなと思い、教育は奥が深いとしみじみ感じたものです。

さて、本題。
図工だろうが、音楽だろうが、体育だろうが、ろう児にとって知らないことばはいつでも出てきます。
私が手話でさらっと表現して伝えてしまうことはたやすいのですが、
「このことばは、おそらく知らない。」
と私がまずアンテナをしっかり立てて、ことばに敏感になりながら、まずは日本語(指文字)で伝えます。
日本語的だなと感じることばはいろいろありましたが、「なぞる」は難しい日本語だと感じました。
教員は「しっかりなぞりなさい」という指示をいたるところで出します。
国語ドリルや書写(硬筆)ドリルでも「なぞる」ことは大切にされていました。
「しっかりなぞって」とろう児に言ったところで、ふたりには「なぞる」の意味が分かりません。
「なぞる」など未知のことばです。
聞こえる子ならなんとも思わずに分かることばでも、ろう児には通じません。
丸なら丸を、しっかり「なぞる」様子を手話で伝え、そのあとに「なぞる」と指文字をします。
できていれば、うんうんとうなずいてOKと手話し、できていることを伝えます。
しかし、たいがい子どもは雑に描いていますので、
「はみ出しちゃったー!」
と、聞こえる子が言っているのが聞こえてきます。
「はみ出す」ということばも、難しいと感じました。
「『はみ出す』って分かる?」
とろう児に聞くと、当然首をひねります。
すぐに先ほどの丸からはみ出した部分を私は指差し、
「はみ出しちゃったね」
と教えます。
そうすると隣の聞こえる子がちらっとのぞいてきて、
「ホントだ!はみ出してる!」
言ってきます。
すると今度はろう児もその子の絵をのぞき、はみ出しているところを指差します。
声は出していませんが、意味は理解できていますし、伝えることもできています。
「自分だってはみ出してるじゃん!」
となるわけです。
お互いに、「なんだよ~~」とけん制し合いますが、仲良く色塗りなどの作業を楽しみ始めます。

こんな感じに、聞こえる子と一緒に活動をしていましたので、いろんなやりとりを行いながらことばを伝えてきました。

「はみだしちゃったーー!!」

ろう児が声を出してこう言っていたときは、思わず笑ってしまった私です。
おそらく将来的には声は出さずに手話メインで話すようになる子たちだろうと先のことを考えつつも、小学生らしく元気に楽しそうに活動する彼らは、いつもキラキラと輝いて見えました。

 

地域の公立小学校(ろう学校ではありません)にて6年間、耳の聞こえない児童ふたり(ソラとリク)に手話を使って支援をしてきたコーダの私(シオン)が感じたことや考えていたことなどを書いています。大勢の聞こえる子どもたちと一緒に過ごした日々を少しづつ紹介。聞こえない世界と聞こえる世界の狭間から見えていた様子を、少しでも感じ取っていただけたら幸いです。

絡まり絡まる

f:id:codamind:20211011214158j:plain

「相談したいことがあります」

こんなLINEがくるとドキッとします。
コーダであればなおのこと。
間違いなく、聞こえない親に関することだからです。
どの話を聞いても、聴覚の障害だけでは何の支援もつかないことと、それ以前に聴覚障害がどういったものなのか、コーダが説明しなければならない状況ばかり。
コーダが参ってしまいます。
聞こえない親のことは「かわいそう、大変ね。」と言われますが、それを支えるコーダの存在はまるで透明人間です。
どの障害や介護に関してもそうですが、当事者ではなく、その家族がつぶれてしまったらどうなってしまうのでしょう。
ケアをする人のケアはいったいどこで担ってくれるのでしょうか。

ギリギリのメンタルで生きているコーダたち。
「どうか無理しすぎないで!」と願うばかりです。

日中は暑いのに

f:id:codamind:20211010221159j:plain

朝晩はだいぶ涼しくなってきました。
今日もあることに時間を取られてしまって、ブログを書く時間がありません。
ちょっと怒りさえ感じていますが、時間は戻ってきません。
今日、苦労したことが、後に役立てばいいんですが…。

それとは別件で、今日は一日朝から夕方まで、何人かのろう者と一緒に行動していたのですが、家族以外のろう者と一日ずっと一緒にいるってなかなか無いよな…としみじみ思いつつも、居心地の良さを感じることができた日でした。
今までコツコツと積み重ねてきたことが、自分にも世の中にも役立ってる感じがして嬉しいです。

だからこそ、物分かりの悪い人に時間を取られたことが腹立たしくて仕方がありませんが、時間が解決してくれることを願っています。

f:id:codamind:20211009221416j:plain

父(ろう者)を連れ出して散歩に行くことがあるのですが、池を見つけるたびに父は鯉を見つめます。
いちばん大きく太った鯉を見つけては、じっくりそいつを見続けるのです。
大きく太った鯉は動きものろいので、父はそれをじーーーーっと見ます。
鯉を見つめる父がなんだか面白いので、また違う池に連れていこうと思っています。

父は歳を取り、だんだんと足腰も弱ってきました。
気がつくと体も少し縮んだようです。
「小さくなった?」
と私が聞くと、父は微妙な表情で、「高齢」の手話をします。

父は私が生まれる前からずっとろう者です。
耳が聞こえないという障害を持って生きてきました。
おそらく、今よりずっと生きにくい時代だったでしょう。
聞こえない親と一緒にいると、社会の聞こえる人たちがいかに冷たいか感じることがあります。
差別や偏見も受けます。
聞こえないということへのあまりの無理解さに、うんざりするときもあります。

父がどんな経験をしてきて、どんな気持ちで生きてきたのか、しっかりと聞いたことが実は今までありません。
少しづつ聞いていこうかな…。
今ようやく、私にそんな気持ちが芽生えてきています。

コーダは親の文章を直す。

f:id:codamind:20211008180221j:plain

コーダも十人十色。
家庭が違えば考え方も違うので、コーダで話すといろんな話題が飛び出します。
「親からのメールが、文字なんだけど手話なんだよね。」
うちは、親とメールでやりとりをしないので、
「ほかのコーダたちは親とメールするんだぁ…。え?メール?文章ってこと!?」
そんなことを考えていると、聞こえない親からのメールをコーダたちが見せてくれます。
日本語で書いてはあるものの、助詞はめちゃくちゃ。
単語レベルですらあちこち間違っています。
日本語で理解しようとすると混乱するので、そこに書いてある単語を手話で表現していくと、ようやく意味が分かります。
「これは大変だわ…」
絵文字も多用。
むしろ、文字よりも絵文字の方が意味がよく分かるなんてこともあるようです。

日本語が苦手なろう者たち。
こう書くと、「そんなことない!」と言うろう者の方々がいますが、それは比較的若い世代の方がほとんどだと感じます。
その方々を否定するつもりは毛頭ありません。
私よりずっと優秀なろう者もいますし、大卒のろう者は今では大勢います。
自動車免許を取得する際にも、「文/むずかしい」などと言うろう者は、昔に比べて相当少なくなったと思います。
私の父は、2度目の試験で免許が取れたそうです。
しかし、実は2度目で合格は優秀な方で、3回~4回…と苦労してろう者たちは自動車免許を取得しています。
運転技術はあるのですが、筆記試験が合格できないのです。
私の父世代のろう者たちは、「文/分からない/むずかしい!!(強めのNMMがポイント)」と何度も何度も私に話してくれます。
文字で書いてある日本語(書記日本語という言い方もします)は、ろう者たちにとって難しく、意味を理解することが困難でした。

何が言いたいかと言うと、私は、「ろう者は日本語が苦手」ということを言いたいのではなくて、「自分たちが一番生き生きと話せる手話を禁止され、聞こえない音や声を聞けと指導され続け、厳しい口話訓練を受け、聞こえるはずのない日本語を正しく理解できないままろう学校を卒業し、何十年と社会で生きてきたろう者たちが大勢いる」と言いたいのです。
そのろう者たちは、私のようなコーダの親です。
ろう学校に通えたろう者は幸せな方で、コーダたちの中には、
「うちの親は無学です。学校に通ったことがありません。」
と話してくれるコーダもいます。

そういったろう者の子どもであるコーダは、聞こえるがゆえに日本語で親に話しかけます。
聞こえないことは分かっていますので文字を書くのですが、それも伝わりません。
それが起きたのは、私の場合は小学生の頃でした。
学校からのプリントに書いてある内容は、母には理解ができないところがありました。
それどころか、父や母が書いた文章を私が添削して直していました。
小学生だった私が実際にやってきたことです。
私は成長するにつれ日本語力が上がっていきますが、父や母はずっと日本語が下手なままです。
「私の両親は、なんでこんなにことばがわからないんだろう。」
誰もその答えを教えてはくれません。
聞こえないから仕方がないのだろうと思いはしますが、親として役割を果たしてほしいと私は思っていたのです。
「どっちが親だよ!!」
私はいつもそう思っていました。
ことばやことばの意味を教えるのは、いつも私の役目でした。
「親が子どもの文章を直す」ではなく、「子どもが親の文章を直す」のが日常。
親がファックスに書く文章は、おかしな日本語
けれど、送られてくるファックスの文章もまた、おかしな日本語でした。
両親のまわりのろう者たちは、皆同じような文章の書きぶりだったのです。

こんな話題になるとコーダたちは口をそろえて、
「分かる~~!!うちも一緒!」
みんなそう言うのです。

かつてのろう教育に文句を言いたいわけではありません。
日本語を身につけられなかったろう者たちを悪者にしたいわけでもありません。
しかし、ろう者が学生学生時代に身につけることのできなかった日本語は、やがて結婚したあとに生まれるコーダへしわ寄せが行きます。
というか、私にはしわ寄せが来ました。
いったい誰に対して、どこに対して、やりきれない気持ちを訴えたら良かったのでしょうか。
コーダというアイデンティティや、共感してくれるコーダたちに出会うことが無ければ、私は死ぬまで親を恨み続けたでしょう。

聞こえないという障害は、目には見えない障害です。

今私のまわりにいるコーダたちは、私と同じような経験をしてきているコーダばかりです。
私たちコーダは、「聞こえない」ということをどうにか社会に分かってもらうために、日々奮闘しているのです。

◆コーダについて◆
あくまでも私の経験と主観に基づいて、私なりに記事を書いています。
コーダがみんな同じような経験をしているわけではありません。
コーダの想いは様々です。どうかご理解いただけると嬉しいです。