【ろう児教育支援31】オーバー
小学生ってなんであんなにいつも元気なのでしょうか。
真冬でも半そでハーフパンツの子が何人もいます。
「寒くないの」と聞くと「寒くない」と言い返してきますが、そういう子は明らかにどうみても寒そうでした。
ろう児ふたりは寒がりでした。
ふたりのトレードマークは派手な色のパーカーです。
ふたりで同じメーカーの色違いを着ていました。
青、赤、黄色、迷彩柄…。
派手なので遠目からでも見つけることができ、私は助かっていました。
そういえば「上位概念・下位概念」について、
この記事で少し触れましたが、「服」について書きますね。
ろう児にとって、「服」は全部「服」でした。
「服」という手話はできていましたし、概念も分かっていたでしょう。
「着替える」も分かっていました。
ただ、なんでもかんでも「服」なのが私と担任を困らせました。
「あなたが着ているのは何?」と聞くと「服!」なのです。
いや、服だけども…。
「あなたが今日履いてるのは何?」
「ズボン!!」
「ジーパンでしょ?」
こんなやりとりを繰り返し、少しずつ種類を覚えさせました。
服に関しては、上位概念しかなかったのです。
Tシャツ、ワイシャツ、パーカー、トレーナー、ジーパン、ジャージ…。
このような単語は、イラストプリントを作ったり、クイズ形式で遊びながら教えるなどして、工夫しながら覚えさせました。
逆に下位概念は分かるけど、上位概念が分からないものもありました。
「食器」や「家具」などです。
「食器」や「家具」については手話単語がないので、ここからろう文化と聴文化の違いがわかります。
とはいえ、知らないままでは困りますので、もちろん覚えさせました。
「食器」や「家具」はそもそも下位概念も怪しかったので、茶碗・お椀・スプーン・フォークなど、細かく指導していきました。
ちなみに「スプーン」は「スープン」で覚えていてしまったので、直させるのに苦労した覚えがあります。
ひとつひとつ丁寧に確認していく必要があるので大変ですが、ここが勝負どころだと思って、毎回丁寧に確認しました。
今回の記事のタイトルの「オーバー」ですが、これはろう者が使う「オーバー(やりすぎ)」の意味ではありません。
これは学童でのエピソードです。
外遊びをして学童館に戻ったふたりが「オーバーが無い!」と繰り返し言っていて、学童の先生は何のことだか分からなくて、ほとほと困り果てたそうです。
やむなく一緒に外へ探しに行くと、それは「ジャンバー」。
「ジャンバー」のことを「オーバー」とふたごの家では言っていたらしいのです。
「なんのことだかさっぱり分からなくて、参りました!」
と、学童の先生からこのエピソードを聞きました。
私はその時、なんとも言えぬ懐かしさを覚えたことを思い出します。
私の耳の聞こえない母も、厚手の羽織るものを「オーバー」とデフボイスで言っていました。
その記憶がぶわっと蘇ってきたので、ろう文化の中にどっぷり浸かって生きていた自分の幼い頃の感覚に戻ったような気持ちになったのです。
「あー…、確かにオーバーって言いますね。最近はあまり言わないですけど。」
「そうなんですね!!いやぁ、むずかしい!!」
参っちゃいましたよ~としきりにその先生は言っていましたが、嫌な顔ひとつせず、ろう児たちに向き合ってくれている様子は、本当にありがたいと思いました。
コーダということばをどこから知るのか。
友人ろうママの話。「私って、何だっけ?」と、聞こえる娘から唐突に聞かれたとか。「コーダのこと?」と言ったら、「それ!…手話でどうやるの?」そう聞かれたからコーダという手話を教えたよ、と話してくれました。今のコーダたちは、親からコーダということばを教わります。#コーダ #Coda
— シオン´21@Coda (@xion0321) 2021年10月21日
ほっこりする話を聞いたので、つぶやいてみました。
何がどうじゃないけれど、なんとなくママに聞いてみたくなったのでしょうね。
コーダは耳で聞いて理解できている?
私は耳で聞いた情報を理解するのが苦手です。
聞こえるのに苦手です。
聞こえてはいるのですが、聞こえるからといって理解できているかどうかは別の話です。
耳で聞いたことを脳で情報処理することには、経験が必要だと思います。
私は両親ろうのコーダです。
両親と音声で会話をしたことがありません。
親は私に対して声で話しかけてきますが、私の声は親には聞こえません。
なので、私が親に合わせて手話や口話をするしかありません。
それは、幼い頃からずっとです。
音声での会話経験がほぼない状態で成長してきましたから、家の外では大変でした。
音声は聞こえますが、聞こえる人から何か話されてもパッと理解できないのです。
10代の頃の私は音声が理解できない自分が許せなくて、自分を責めました。
私はできない人間なんだ、と。
でも、そうではないということがやっと分かったのは20代の頃でしょうか。
音声での会話経験が日常生活の中で無かったために、音声で会話をする力を身につけることができていなかったのです。
私は聞こえる学校に通っていましたが、学校だけでは会話力やコミュニケーション力を身につけることができませんでした。
授業やほかの人が喋っていることは理解できていたので、成績は悪くありませんでしたが、通信簿に先生から書かれるコメントはいつも「おとなしい」でした。
「おとなしい」のではなくて、本当は「会話の仕方が分からなかった」のです。
先生と話すときも、聞かれたことには「はい・いいえ」で答えられますが、そこから会話を続けるなんてことはできません。
会話を続けるなんて発想すらありませんでした。
音声で聞こえる人と話すことは、私にとっては恐怖でしかなく、できれば避けて通りたいといつでも思っていましたから。
それでも「聞こえるから」という理由だけで聞こえない親の代わりに大人と話すこともしてきましたが、人と話すことが苦手な私のことに気がついてくれる人は誰もおらず、幼い頃からずっとひとりで苦しんできました。
つらいということを伝えることばも分からなかったし、誰にどうやってつたえたらいいのかも分かりませんでした。
「言われていることが分からない」
と手話で親に言うと、
「お前は聞こえているだろう!」
と怒られました。
八方ふさがりな状態。
聞こえない親に、聞こえる私のつらさを分かってもらうことはできませんでした。
世の中には、子どもには分からないことばがたくさんあります。
私は父や母からことばを教えてもらいたいと思っていましたが、それは叶いませんでした。
私が父や母にことばを教える経験は何度もしました。
これが子どもの頃の私の日常だったのです。
今の私をご存知の方は信じられないかもしれませんが、私は口の利けない子でした。
「耳で聞いたことがしっかり理解できているか」も、以前の私では怪しかったと思います。
「ことばを耳で聞いて理解すること」は、できて当然では無いことだと私は考えます。
私のように、家の中で音声で会話する経験が無ければ、できるようになりません。
家族でたくさん会話をすればことばを獲得していきますし、どういう風に話し始めたり話し終えたりするのかも、自然と身につくのでしょう。
どんなタイミングで質問すればいいのかも、ことばのキャッチボールをしていくうちに、だんだんとできるようになります。
そういったことが、我が家の場合は、手話でも音声でも行われることはありませんでした。
「会話」ではなく「要件を確認」するレベルでしかなかったのです。
今でもときどき、幼い頃の感覚を思い出すことがあります。
誰も悪いわけではないので誰のことも責めることはできませんが、幼かった私がつらい日々を過ごしていたのは紛れもない事実です。
耳で聞くことのできない親に育てられると、こういったことで悩んだりもするのがコーダなのです。
あくまでも私の経験と主観に基づいて、私なりに記事を書いています。
コーダがみんな同じような経験をしているわけではありません。
コーダの想いは様々です。どうかご理解いただけると嬉しいです。