コーダ☆マインド

耳の聞こえない親を持つ聞こえるシオンが考える、コーダのことや手話のこと。

聞こえてごめんね

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耳の聞こえない母には兄弟が4人います。
母以外は皆聴者。
今回は、母の妹である叔母(おば)と私のエピソード。
この叔母は末っ子ということもあるのか、誰にでも人懐っこい性格で、私のこともとても可愛がってくれました。
私の母が亡くなったあと、他県にも関わらず、家に何度か来てくれて、食事を作ってくれたこともありました。
この叔母とは今でもいろいろと話をすることがあるのですが、忘れられないエピソードがひとつあります。

「お姉ちゃんはさ、聞こえないんだよね」
「うん」

頷く私。
このお姉ちゃんとは私の母のことを指します。

「私、自分は聞こえてて申し訳ないと思った」

ああ、分かる。
母は耳の聞こえる人に対して、ものすごい焼きもちを焼きました。
娘の私にもジェラシーを隠しもせず、
「聞こえる!ズルい!」
と言っていた母は、自分の妹にもおそらく同じように言っていたのでしょう。

「本当に申し訳なくてさ、私も聞こえなきゃ良かったと何度も思ったよ」

同じだ。
私と同じ気持ち。

「お母さんは聞こえないのに、私は聞こえてごめんなさい」

私も何度も何度も思いました。

耳で聞いた音や情報を、母と同時に共有することはできませんでした。
母の聴力はどの程度だったのか今となっては分かりませんが、母は全く聞こえていませんでした。
どんなに大きい音にも反応しません。
音による衝撃で床や壁が揺れれば、振動で気がつくといった感じ。
昔は今のように性能の良い補聴器はありませんでしたし、車の運転時に補聴器を一応持ち歩く父と違い、母が補聴器を着ける姿を私は一度も見たことがありませんでした。

母の兄弟たちは、私から見ていても割と仲が良い兄弟たちだと思います。
聞こえない私の父と母をのけ者にするようなことは無く、親戚が集まれば、筆談でたくさん話をしてくれました。
他愛もない会話やなつかしい思い出話が文字や絵でやりとりされ、紙面(広告の裏やノートなど)がみるみる埋まっていくのです。
時折、子どもの私が通訳しました。
私はその空間がたまらなく好きだったのです。

ですが、おそらくこの兄弟たちが子どもの頃は当然音声で会話をし、歌も歌ったでしょう。
その様子を幼かった母はどんな気持ちで見ていたのだろうと考えると、胸が締め付けられる思いになります。
(ちなみに母はろう学校の寄宿舎育ちですが、実家に時々帰っていたという話もよく聞いています)

「叔母ちゃん、私もそう思ったよ。聞こえてごめんねって。」
「あらそう?あんたも?やっぱりねぇ~」

こんな会話で、私と叔母はお互いの心を癒します。

聞こえない人の家族にしか分からない気持ちがあります。
コーダとはまた違うかもしれませんが、聞こえない兄弟がいる人(ソーダ)もまた、つらい気持ちを抱えながら生きているのです。

<この記事は2020年1月にnoteに書いたものを編集しています>