コーダ☆マインド

耳の聞こえない親を持つ聞こえるシオンが考える、コーダのことや手話のこと。

コーダは自分で学校へ電話をかける

小学生の頃、風邪を引きました。
熱が上がってしまい、学校へは行けそうにないと子どもながらに分かります。
そうなると私は体より、心が苦しくなりました。

「どうしよう…」

母に怒られるからです。
それはひどく叱られます。
「どうして風邪を引いたの!!」
という意味合いのことを、物凄い形相で言ってきました。
体を心配するよりも先に、風邪を引いたことを怒られるため、私は、

「風邪を引く私はダメな子なんだ……」

と自分をいつも責めました。
そして、そこからが問題なのです。
学校に「お休みします」と電話しなければなりません。
誰がでしょうか?
……私がです。
風邪を引いて具合の悪い子どもが、自ら学校へ電話しなければなりませんでした。
耳の聞こえない母は電話ができません。
本当にこれが嫌で嫌で仕方がありませんでした。
聞こえる友人たちは皆、何かあれば母親が電話をしてくれると聞きました。
たかが電話かもしれませんが、友人たちのことが心底羨ましいと思いました。

「いいなぁ…、親が守ってくれるんだ…」

まだ幼い頃は何も考えないで学校に電話できました。
だんだんと成長し、自分が大人になるにつれ、
「なぜ私は親に守ってもらえないのだろう」
と真剣に考えるようになりました。
風邪を引くと声が出にくくなることもあるし、実際に声が出ないときもありました。
それを母に伝えるのですが、母はそのことが全く理解できず、私を叱りました。
体調が悪いことよりも、母に理解してもらえないことの方が、私にとってはつらいことでした。
後に、学校への電話連絡の件は学校にお願いをし、ファックス連絡を取れるようにしてもらいました。
しかし、これは私がそうして欲しいと提案したもので、母の考えではありませんでした。

「私のことを守ってくれる人なんて、この世には誰もいない」

私はそこまで考えるようになっていました。

「なんでいつもこんなに苦しいんだろう」
と常に考える小学生時代でした。
苦しいことが日常でした。

6年生のときの修学旅行が決定打でした。
旅先のホテルから皆がこぞって、家に電話をかけている様子を目の当たりにしました。「お母さん、あのね…!」

電話で楽しそうに家族と話す友人たち。
私はひどく驚き、ショックを受けました。
そして一生忘れられない出来事となりました。

「離れた場所から、親と電話で話ができるの!?」

私には一生分かり得ない感覚だとその時悟ったのです。
離れていても電話をかければ声が聞こえる。
聞こえる人にとっては当たり前のことでも、私にはできないことでした。
「声で親と喋れる安心感」は、私にはとうてい得ることのできないものだと分かってしまったのです。
親子仲が悪いわけでもありません、親が居ないわけでもありません。

悲しくて、悔しくて、友人たちが羨ましいという気持ちで心が苦しくなりました。

でもこの気持ちを母に伝えたら、母はきっと怒るだろうから言ってはいけないと思いました。
子供の頃、母が怒ることは私にとって恐怖でしかありませんでした。
今考えれば、耳の聞こえない母が生きるために悲しみを越えて怒っていたのだと理解できます。
母には悲しんだり落ち込んだりしている暇はないのです。
母には子どもを育てなければならない義務があったのですから。

風邪を引いたときも、私は「大丈夫?」と心配してほしかっただけなのですが、

「学校は休んだらいけない場所!」

とものすごく叱られました。
これもきっと娘を思うが故だったのでしょう。
熱が上がってしまい寝込んでいる娘を、母はきちんと看病してくれました。

「怒られるのは嫌だから風邪を引かないようにしよう。自分で学校に電話するのは嫌だから風邪を引かないようにしよう。」

子供の頃、風邪を引いたときはいつも私はこんなことを考えていました。

「お母さんを困らせるのは嫌だから、私は手のかからない子でいよう。」
私は無意識にこう思いながらずっと生きてきました。
母は困ったときこそ怒るということが分かっていたからです。
だからこそ私はそう思っていました。

私は、自分のつらい気持ちは自分の中に閉じ込めました。

今考えれば、小学生の子どもが自分で「今日は休みます」なんて電話をかけてくるなんて、当時の学校の先生はどう思っていたのでしょうか。
逆に何も思わなかったのでしょうか。
もしかしたら「親が耳が聞こえないかわいそうな子ども」と思われていたのかもしれません。

「現在のコーダたちはどうしているのだろうか。」

過去の自分を思い出しながら、今を生きるコーダたちに私は思いを馳せるのです。

<この記事は2020年1月にnoteに書いたものを編集しています>