コーダ☆マインド

耳の聞こえない親を持つ聞こえるシオンが考える、コーダのことや手話のこと。

【ろう児教育支援1】プロローグ

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ろう児教育支援

とある小学校に通うふたりのろう児を、入学から卒業までの6年間支援してきました。
場所はろう学校ではなく、地域の公立小学校。
大勢の聞こえる子どもたちと、理解ある人たちに囲まれた、とてもとても恵まれた環境でした。
小学校というかけがえのない場所での様々な出来事、支援員としての立場から思ったことや感じたこと、考えたこと、そして両親がろう者のコーダとしての私個人が感じたことなど。
様々な出来事を書き綴っています。

地域や個人が特定できない範囲で書いておりますことをどうかご理解の上、お読みいただければ幸いです。

はじめに

ろう児教育支援を6年間、小学校でやってきました。
このまま忘れてしまい、埋もれさせてしまうのも勿体無いと思っていたところ、自分自身の経験や、コーダ(Children of Deaf Adults)について書いていくにつれ、「ろう児教育教育支援のことも書けるのでは…」と思い始めました。
とはいえ、順を追って時系列で思い出して書くのも大変なので、思い出せたものから書いていこうと思っています。

どこの県かどこの市町村か、ここでは明記しません。
ですが、個人情報だからと埋もれてさせてしまっては本当に勿体無く、多くの人に知ってほしい出来事ばかりだったので、個人が特定できない範囲で書こうと思います。
それから、学校現場での私は正に死に物狂いでろう児の支援にあたっていたため、本当に口が悪く、ややオブラートに包まないととても書き表せないものもありますが、どうにかこうにか書いていければと思います。

学校現場での私の仕事は、音や音声で聞こえてきたものを手話通訳をしてろう児に情報を伝える「情報保障」でした。
ですが、ろう児にただ手話通訳するだけでは伝わらないことばかりだったため、ろう児が知らないことや分からないこと、勘違いしたり間違うことなどがあれば、手話だけでなく、あらゆる手段を使って繰り返し何度も説明するという作業を、卒業する日まで毎日続けました。

聞こえる側の理解が足りなければ、介入し、説明しました。
ろう児(聞こえない側)が理解できなければ、分かるまで支援し続けました。
ろう児が生きていく上で、社会の一員として行動できるためにと考えて、6年間支援を行ってきたつもりです。
それはもう膨大な量の情報を手話通訳し続けてきました。
聞こえない側と聞こえる側、お互いが歩み寄れるように、お互いが納得できるように支援をしてきました。

「本当に私はこんなことを6年間もやってきたのか」

と自分自身も驚くくらい、楽しいこと、苦しいこと、考えさせられることがたくさんありました。

「世の中にこんなことがあるのか」

と思っていただけたら嬉しいです。
私は私が書きたいので書き残そうと思っています。
そして、本人たちが大人になったときにいつか読んでもらえるように、彼らの同級生である聞こえる子たちにも読んでもらえるようにと願って書いています。
大勢の子供たちの顔や声が脳裏に鮮明によみがえる、私の大切な記録です。

そして改めて、最初に言っておきたい大切なことがあります。
ふたりのろう児、彼らのお父さんお母さん、学校の先生方、教育委員会、市の福祉課、大勢の聞こえる子ども達、そして大切な友人たち、関わってくださった全ての人たちに、この場を借りて心から感謝申し上げます。

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