コーダ☆マインド

耳の聞こえない親を持つ聞こえるシオンが考える、コーダのことや手話のこと。

【ろう児教育支援2】学校サポーター

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「難聴児支援を6年間やってきました」

こう言っただけでは、どこで何をしてきたのかさっぱり分かりません。
ただ、説明すると長くなります。
長くなるのですが、ここが重要なので書きます。

場所は地域の公立小学校

よく勘違いされるのですが、場所はろう学校ではありません。
地域の普通の公立小学校です。
聞こえる人が通う、普通の小学校。
(この書き方には抵抗がありますが、今回はお許しを。)
そこに、難聴児が6年間通いました。
難聴児と書くと、これまたよく分かりません。
ハッキリ書きましょう。
ろう児です。
耳が聞こえず、手話で話すろう児です。
小学校入学前にすでに手話を獲得し、日常会話程度なら難なく手話で喋ることのできるろう児。
そして、ひとりではなくふたり。
双子の男児です。
なぜ、彼らは6才にして手話ができたのか。
それは両親も手話を使うろう者で、いわゆる「デフファミリー」だからです。
彼らの家庭の中での共通言語は手話でした。

『耳が全く聞こえない、しかも手話が母語の子がふたり入学してくる!!』

教育委員会や学校は当初大変困ったと聞いています。(私はその状況を詳しくは知らないのですが、後から聞きました。)
私のところに
「ろう児の支援員をやってくれないか」
という話が来たのは、彼らが入学する2ヶ月前。
雪の季節でした。

私はその頃、手話通訳者を目指し学んでいました。
日中働き、週に1回夜、県が主催する「手話通訳者養成講座」に通っていました。
そんなとき、市の設置手話通訳者が私に話を持ちかけてきたのです。
手話通訳者の資格を持つ人や教員免許保持者で手話のできる人を探したのだけれど、受けてくれる人が見つからなかったとのこと。
そんな中、どうやら私に白羽の矢が立ったらしいのです。
コーダ(両親がろう者)で手話通訳者を目指していた私に。

「地域の小学校に聞こえない子が入学することになったんだけど、手話のできる支援員を探しているの。…やってくれない?」
唐突にそう言われても、私は何のことかさっぱり分かりませんでした。
「その子たち、ろう学校には行かないんですか?」
「ご両親と本人たちの意向で、地域の小学校に入学することが決まってる。」
「毎日一日中、小学校の中で手話通訳するってことですか? そんな話、聞いたことがありません。」
「全国的にも無いケースだと思う…」
「?????」

仕事内容、給与や待遇、いろいろと訳が分かりませんでしたが、悩みに悩んだあげく、私はその話を受けることにしました。
どうやら「学校サポーター(支援員)」という仕事らしいです。
市の独自事業で、主に特別支援の児童に対しての支援員。
双子のろう児が住んでる市は、学校サポーター(難聴学級支援員)として私を配置することを決定しました。

4月になる前に、設置手話通訳者と一緒に教育委員会に行き、何度か話し合いをしました。
耳が聞こえないということがどのように大変か、それを支援することがどんなに大変か、私は説明しました。
学校へも見学に行きました。
新設の難聴学級教室が準備されており、教室の中には真新しいパーテーションがいくつも用意され、子どもたちの机や椅子には引きずっても音が鳴らないようにと、難聴学級と交流学級(親学級)、全ての机と椅子にテニスボールが付いていました(私はその時初めて見たましが、難聴学級ではよくやる方法だそうです)。
当時の校長先生が、古いテニスボールを集めてきて、ひとつひとつ付けてくださったと聞きました。

それまでの仕事は退職することになった訳ですが、3月末日までシフトが組まれており、そちらできっちり働いた翌日に、小学校での勤務がスタートしました。
今考えれば、山ほど有給が残っていたと思います。
まぁ、いいか、済んだことです。

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codamind.hatenablog.jp

地域の公立小学校(ろう学校ではありません)にて6年間、耳の聞こえない児童ふたり(ソラとリク)に手話を使って支援をしてきたコーダの私(シオン)が感じたことや考えていたことなどを書いています。大勢の聞こえる子どもたちと一緒に過ごした日々を少しづつ紹介。聞こえない世界と聞こえる世界の狭間から見えていた様子を、少しでも感じ取っていただけたら幸いです。