コーダ☆マインド

耳の聞こえない親を持つ聞こえるシオンが考える、コーダのことや手話のこと。

【ろう児教育支援3】入学式

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まさか自分が小学校で働くことになるなんて、夢にも思ってもいませんでした。

4月1日は、どこの小学校も新年度の職員会議が開かれます。
入学式の準備も進められるわけですが、私は全てが何がなんだか分かりません。
まず、小学校での働き方など知らないので、誰とどのようにコミュニケーションを取ればいいのか分かりませんでした。
とりあえず、難聴学級の担任(男性)とは仲良くなっておかなければと、その時は思っていました。
その教務主任のM先生が、難聴学級の担任でした。
(教務主任とは、学校の実質的な行事の総括を担当し、自らも授業を行う先生のことです)
教務主任と難聴学級担任を両方担う形、つまり二人分の仕事を一人の先生がやる形になっていました。
今考えればありえない人事だと分かりますが、その時の私には何も分からなかったので、そういうものなのかと思っていました。
その日から、とてつもなく大変な日々が始まる訳です。
その当時の私は本当に何も分かってなかったため、日々をこなすのがやっとでした。

とにもかくにも、訳が分からないままに入学式当日。
6年生が新1年生と手を繋いで入場しました。
私も、初めて会うろう児と手を繋いで体育館へ入場しました。
1年生の椅子はとても小さく可愛いです。
後ろには、市の設置手話通訳者が教員と一緒に待機してくれていました。
私は小さな子どもたちが並んで座る列の間に、子どもと対面する形で座りました。
そして小学校の中で、二人のろう児に対して初めての手話通訳を行いました。
式が進み、新1年生の名前が呼ばれます。
ろう児ふたりは他の聞こえる子たちと同じように、大きな声で返事をしました。

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6年間その小学校で学び続け、同じ場所で無事に卒業式を迎えたわけですが、それまでの長いようであっという間だった【難聴児教育支援】の様子を、できる限り記していきたいと思っています。

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当時の私は、ろう児が声を出して返事をする姿に違和感を感じました。
難聴児教育のことを何も知らずに、小学校での勤務が始まったのです。

「この子たちは、声も使ってコミュニケーションをとるのか」

それまで「ろう者には声など何の意味も持たない」と無意識に考えていた私の考えは、入学式のその日から打ち砕かれました。

式を終え、教室で最初の学級会が行うために教室へ移動しました。
場所は1年2組。
担任自己紹介、難聴学級担任自己紹介、そして学校サポーターである私の自己紹介など。
ですが、小学1年生は集中力が長く持ちません。
ほどなくその日のスケジュールは完了となり、帰りのあいさつの時です。
ろう児のそばに付き、担任の先生の話を慣れない手つきで手話通訳していた私の目の前に、ろう児の手のひらがニュッと出てきました。

「手話いらない!」

声は出してませんでしたが、意味はハッキリ伝わってきました。

これが、彼らと私が初めて出会った日の出来事です。
何年経ってもこの日のことは私の中で色褪せることなく、映像で思い出します。

地域の公立小学校(ろう学校ではありません)にて6年間、耳の聞こえない児童ふたり(ソラとリク)に手話を使って支援をしてきたコーダの私(シオン)が感じたことや考えていたことなどを書いています。大勢の聞こえる子どもたちと一緒に過ごした日々を少しづつ紹介。聞こえない世界と聞こえる世界の狭間から見えていた様子を、少しでも感じ取っていただけたら幸いです。