コーダ☆マインド

耳の聞こえない親を持つ聞こえるシオンが考える、コーダのことや手話のこと。

【ろう児教育支援4】視界に入る

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地域の公立小学校(ろう学校ではありません)にて6年間、耳の聞こえない児童ふたり(ソラとリク)に手話を使って支援をしてきたコーダの私(シオン)が感じたことや考えていたことなどを書いています。大勢の聞こえる子どもたちと一緒に過ごした日々を少しづつ紹介。聞こえない世界と聞こえる世界の狭間から見えていた様子を、少しでも感じ取っていただけたら幸いです。

「手話いらない」と言われても。

彼らは聞こえないので、翌日からも私は彼らの目の前で手話通訳を行いました。
1年生の最初の頃は、交流学級(親学級)で過ごすことが多く、まずは小学校に慣れることと、小学校でのルールを覚えることが主となります。
こくごやさんすうは、そんなにすぐには始まらないのです。

1クラス24人。
その小学校は1学年につき1クラスでしたが、たまたまろう児のいる学年は人数が多く2クラス編成となりました。
もしも40人以上のクラスだったら、ぎゅうぎゅう詰めの教室の中に入り手話通訳することになっていました。
考えただけでゾッとしますが、24人のクラスは見通しも良く、快適でした。
1年生は体が小さく、教室の半分のスペースに24人は収まっていました。
そこにいつも大人が3人付きました。
1年2組の担任のフミコ先生。
難聴学級の担任のマサヒト先生。
そして、学校サポーターの私。
ろう児の席を考えて配置しないと、その近くで支援する私や難聴学級担任が邪魔になります。
「見えない~~!」
と聞こえる子に言われることも最初の頃はよくありました。
私はそうなることは分かりきっていたので、養護教諭(保健室の先生)から小さな椅子を譲り受け、できるだけ他の子の邪魔にならないところで手話通訳をしていたのですが、難聴児がどういうものなのか全く分かっていない難聴学級の担任(男性)が教室の真ん中をいつもウロウロするので、本当に迷惑だったのを思い出します。
「邪魔です」と何度言ったことか。
後に、この担任とは怒鳴り合いの大喧嘩をしますが、それはまた別の機会に書けたら書きます。

手話通訳のイメージで考えると、話者のそばに立って通訳するイメージがあるかもしれませんが、6歳児相手にそうはいきません。
まず、目線が合わないのです。
体が小さいので視線の高さも合いません。
私は彼らの視界に入るようにいつも心がけ、身をかがませて手話をしてきました。
目を合わせなければ、いくら手話をしても意味がないのです。
普通の手話通訳をするのとは訳が違いました。
ろう者が手話通訳を見るも見ないも本来は自由ですが、ここは学校です。
そしてここでの私は「支援員」であり、「手話通訳者」ではありません。
(そもそも、このときはまだ手話通訳者の資格は持っていませんでした)
常に子どもの動きに合わせて、支援という名目で「手話通訳」を行ってきました。

当たり前ですが、手話通訳を見ることなど保育園では習ってきていません。
しかしふたりはお父さんもお母さんもろう者なので、手話通訳者という人がいるということは6才ながら理解していたようでした。
きっとお母さんからも説明されていたのだと思います。
それでも本人たちが、手話通訳を見るか見ないかは別の問題ですが。

手話を見ないと分からない。

保育園のときのように、自分たちに合わせて大きな口でゆっくり喋ってくれる小学校の先生はいません。
そのことには本人たちもだんだん気がついてきた様子でした。
保育園では先生の口を見てれば分かったものが、小学校に入学してからとたんに分からなくなったのです。
ろう児たちは小学校に入ってからは口形を読んで理解することができなくなり、自信を無くしていたと後に母親から聞きました。

保育園には手話のできる保育士がいました。
ろう児のために手話を学んだと聞いています。
手話のできない保育士たちも、大きな口を開け、ゆっくりと分かりやすく話してくれていたようです。
保育園という環境と、他の子ども達も小さかったので、その時はそのやり方が良かったのだと思います。
双子は週に一度、ろう学校幼稚部へも通級していたそうです。
そして満を持して、家から歩いて10分の小学校へ入学してきたというわけです。

しかし他の子どもたちはみんな耳が聞こえています。
ろう児はまわりの子が動き出せば、なんとなく自分がなにをすべきなのか雰囲気で察し、行動できていました。
ですが、それでは友達の真似をしているだけで、指示を聞いて理解し、自ら判断して動いたことにはなりません。
1年生への指示はさほど難しくないため、ろう児にもこなすことができました。
なんとなく問題は無いように見えていましたが、そこが難聴児教育の問題点です。

『耳からことばが入っていない』

ことばは毎日の積み重ねです。
故に、いつの日か手遅れを感じるときが必ず出てきます。
「理解してなかったのか!…そうか、聞こえていないから…!」
では取り返しがつきません。
追い付こうにも、どこからやり直したらいいのか途方にくれるでしょう。
そうなることは、私には目に見えていました。
皆と同じように動けているから問題は無いと思うのは大きな落とし穴で、ろう児自身、よく分かっていないままに動いているケースがほとんどです。
できているようで、詰めが甘かったりするのは指示が理解できていない証拠です。
私は手話や指文字を使い、丁寧にろう児に指示を伝えました。
なんとなくまわりに流されて動き始めるふたりにストップをかけて、必ず手話を見せました。
今思えば、私はろう児にことばを伝えながら、手話と日本語を同時にインプットさせていたのだと思います。
中学年、高学年になるにつれ、支援の仕方を少しずつ変えていきましたが(高学年のときは授業をする先生の横で手話通訳を行ってきました。追って詳しい記事を書けたらと思います)、低学年の頃はとにかく私からろう児の視界に無理やり入っていき、手話をしました。
見ていなければ、見るように促しました。
ひとりが見ていなければ、同じ手話をもう一度繰り返しました。

『視界に入って、目を合わせる』

ろう児への支援は、いつもそこから始まるのです。