コーダ☆マインド

耳の聞こえない親を持つ聞こえるシオンが考える、コーダのことや手話のこと。

【ろう児教育支援7】ろう児と生きもの

f:id:codamind:20210708205103j:plain

農園つながりで思い出しながら書いています。

1年生 サツマイモ
2年生 ミニトマト
3年生 ヒマワリ
4年生 ヘチマ
5年生 コメ
6年生が一番近い記憶なのに、思い出せない…。なぜでしょうか…。
(たしかジャガイモだったような気がします。理科で葉緑素を学ぶため。)

米づくりは特に忘れられない思い出になっています。
そう、田植えです。
農園の一角が毎年田んぼになります。
裸足になり、泥の中に足を突っ込んだときの子どもたちの表情は忘れません。
「うえ~~!」と言いながらみんな顔をゆがませます。
口では「うえ~~!」と言っているのに、みんな楽しそうだったのが印象的です。
みんなで協力しながら、田植えをしました。
田植えをしたということは、当然収穫もあります。
収穫間近の稲はいつでも雀が狙っていて、雀を追い払うのも子どもたちの仕事でした。
田植えを小学校で経験できるろう児は、日本でどれくらいいるのでしょうか。
ろう児が『田植え』ということばを、社会の教科書以外で目にする機会はあるのでしょうか。
ふたりのろう児は貴重な経験ができて幸せだな、と勝手に親のような気持になっています。
ドロドロになった足は、近くの水路に同級生50人そろって足を突っ込んで洗いました。
蛙や虫を捕まえて遊んでいた子どもたちがいたのもよく覚えています。

ちなみに、特別支援クラス(知的学級・情緒学級・難聴学級)で植えたキュウリやスイカは冷やしてみんなで一緒に食べました。
畑の草取りも何度もしました。
農園では毎年作物を作り、観察もしました。
農園での忘れられないエピソードはたくさんあります。

農園といえば、スイカは毎年畑に植えられていましたが、給食にもスイカは出てきました。
食べ終わったスイカとその種をじっと見つめていたリクがあるとき聞いてきました。
「この種からスイカはできるの?」
3年生くらいのときだったと思います。
「撒いてみれば?」
難聴学級担任のナカガワ先生からそう言われたリクは、給食に出てきたスイカの種を持ち帰り、家の庭に撒いて育てました。
後に、ソフトボールほどの大きさに育ったスイカを学校に持ってきて私たちに見せてくれたのを思い出します。
リクは先生たちに見せたくて持ってきてくれたのです。
「わざわざ持ってきてくれたの?」
「うん!」(鼻息荒め)
そのときのリクの自慢げな表情は忘れられません。
ナカガワ先生や私がどんな顔をするのか見たくて、ミニスイカを手に持ってリクが登校してきたのだと思うと、なんだか愛おしくなりました。
割ってみると、小さいながらも中身はちゃんと赤くなっていました。
「甘い…!」
自分で育てたスイカの味にリクはびっくりしていました。
(残念ながら、当の本人はこのエピソードをすっかり忘れてしまっていることが後に判明しましたが……)

持ってきたといえば、カマキリの卵が付いた枝をリクは持ってきたこともありました。
教室の中で生まれてしまい、教室中ミニカマキリだらけになってしまわないかと私はひそかにビクビクしていましたが、どうやら卵はすでに空っぽだったようです。
ソラはダンゴムシとかカタツムリとか、そんなものばかり持ってきていたような気がします。
あと、カブトムシやクワガタ。
子どもの興味はそれぞれです。
教室でアゲハ蝶やモンシロチョウを育てて観察した時期もありました。
雨どいを伝って下からトカゲが上がってきたこともあります(難聴学級は2階)。
背中が虹色に光る可愛いトカゲがちょろちょろと、教室の床の上を動いていました。
私の中で鮮明に思い出せる映像記憶のひとつです。
教室がきらきらとまぶしく光っていました。

小学生は様々な生きもののことを6年間でたくさん学びますが、教科書に載っていないこともたくさん学んだのだな、と改めて感じています。

 

地域の公立小学校(ろう学校ではありません)にて6年間、耳の聞こえない児童ふたり(ソラとリク)に手話を使って支援をしてきたコーダの私(シオン)が感じたことや考えていたことなどを書いています。大勢の聞こえる子どもたちと一緒に過ごした日々を少しづつ紹介。聞こえない世界と聞こえる世界の狭間から見えていた様子を、少しでも感じ取っていただけたら幸いです。