【ろう児教育支援9】汚れてもいい服
お習字には関しては、私の恨み辛み満載です。
6年間ずっと大変でした。
なぜ筆を持っている方の手までもが真っ黒になるのか、いつも意味が分かりませんでした。
道具(筆・文鎮・下敷き等)はいつも墨汁まみれ。
二人は道具を拭いたり洗ったり、道具の管理がなぜか上手にできませんでした。
毎回注意してもできず、ろくにしようとしませんでした。
いつでも道具は汚れていました。
なので、双子は紙に書き始める前の準備の段階から、すでに手や顔や服が墨で汚れており、書き終わるころにはもっと汚れていました。
卒業するまでそれは変わらず、書写の時間でお習字をしたあとは、いつも二人は墨で黒く汚れていました。
耳が聞こえないことと、自分や道具が汚れないように気をつけることができないことの因果関係があるのかどうか、私には全く分かりませんでしたが、6年間でとにかくお習字が大変だったことは強く印象に残っています。
(双子は6年生になってから、聞こえる子たちと一緒の教室でお習字が書けるようになっていました。ずっとふたりを見てきた私はひとりでいたく感動したのを覚えています)
4年生の頃でしょうか。
情緒学級のアーちゃん(男子)と一緒に習字をすることになりました。
アーちゃんは、よりにもよってその日は真っ白いTシャツでした。
特別支援級の児童は人との距離感が特につかみづらく、書くペースもまわりに合わせることが難しいため、お習字は特別支援の教室で書いていました。
時間割と教員数の関係で、めずらしく一緒に書くことになったのです。
難聴学級担任のナカガワ先生の指導のもとの授業。
私はアーちゃんが書く様子をおそるおそる見守りました。
すると、なんとアーちゃんは手も汚さず、Tシャツは白いままで見事に作品を書き上げたのです。
習字道具はひとつも汚れていません。
私はとてもとても感激しました。
そしてよりいっそう、双子がいつも黒く汚れるのが不思議で不思議で仕方がなく思いました。
こんなエピソードもあります。
あれはそう、3年生の頃。
お習字を朝からするため、ホワイトボードに担任が書いた
『よごれてもいい服で来る』
という文言を、ろう児は連絡帳に書き写しました。
翌日、ソラは墨汁で真っ黒に『汚れた』Tシャツで登校してきました。
墨汁をかぶったのかと思うくらい汚れたTシャツでした。
そんなソラをたまたま見かけた、笑顔が素敵なダンディーな教頭先生が、ソラを二度見し、「き、きみは一体…」とつぶやいたくらいです。
唖然としました。
意味の捉え方が違ったのです。
ソラは「汚い服で来てもいい」のだと思ったのでしょう。
8才のろう児に、日本語は本当に難しいのだと感じました。
手話で詳細な説明を足さなければ理解できなかったのです。
だとしても、真っ黒に汚れ、もはや元のTシャツの色は見る影もないような服を、よく着てきたものです。
母親もおそらく止めたのでしょうけども、ソラの性格上、押し切ったのだと想像がつきました。
私と担任のナカガワ先生は呆れ返り、司書(図書の先生)のイイクボ先生は大爆笑していました。
考えられる手話単語は三つ。
『汚い(汚れる)』、『服』、『構わない』
①汚ない(汚れる)/構わない/服
②汚ない(汚れる)/服/構わない
語順が変わると、意味が変わります。
手話の文法的なことを言うと、手話自体も間の取り方も違うのですが、それはひとまず置いておいて。
ソラはおそらく②で解釈をしたのでしょう。
語順うんぬんというよりも、ソラはなんでも感覚でつかむタイプだったのも原因です。
『汚れてもいい服』という日本語は、ろう児にはとても難しいのだとそのとき私も考えさせられました。
ろう児の頭の中でどのように解釈されているのか、考えなければなりませんでした。
しかし、まさかの『とても汚れた服』で登校したソラはその日一日まわりから笑われていました。
ソラもいい勉強になったことでしょう。
友達にからかわれるたびに、恥ずかしそうにしていました。
私は、いつも素敵な教頭先生が二度見した、あの微妙な表情が今でも忘れられません。
ソラは汚れたTシャツでの来たですが、リクは汚れてもいい服で来ていたのが、ますます私と担任の頭を混乱させました。
「なんであなたは理解できたの?」
とリクに聞いたところリクは「さぁ?」と首をぷるっと振り、
「分かったもん。」
と言いました。
たとえ双子でも、人間は一人ひとり違うのです。