【ろう児教育支援15】ろう児と保健室
ろう児ふたりは保健室が好きでした。
2年生のときから5年生のときまでの5年間、養護教諭の先生は、なんだか動きが面白くて可愛らしい天然のマユミ先生。
いつも子どもたちのことを、やさしく見守っていてくれている先生でした。
マユミ先生とのエピソードはいろいろあります。
体温計は震えない。
子どもは体調が変わりやすいです。
顔が赤く熱っぽいようなときは、保健室へ直行。
その時は(中学年の頃だったか)私も一緒に保健室へ行き、体温計を借りて熱を測ります。
状況説明をしつつ、うっかり私はマユミ先生と話し込んでしまい、ハッ!と気づくとソラはじっと体温を測り続けていました。
「ソラ!いつまで測ってるの…って、そっか!『ピピっ』て鳴ったの聞こえないよね?」
「??? …体温計って音が鳴るの?」
「おうちで測るでしょう?どうしてるの?」
「うちのはぶるぶる震える」
手話と音声を交えながらこんなやりとりをし、私はびっくりしました。
「振動で教えてくれる体温計があるの!?」
そんな便利なものがあることを私は知らず、そして耳の聞こえないソラは震えない体温計を保健室で知ったのです。
両親ろうのコーダの私には、これはちょっとしたカルチャーショックです。
聞こえない人に関わる道具のことは知っているつもりだったのに、時代はどんどん変わっていて、その時すでに取り残されているかのような感覚を覚えました。
『ネコの肉球』模様
「虫に刺されてかゆいので、保健室に行ってきます!」
「転んだので、保健室へ行ってきます!」
そう言っては、マユミ先生に手当てをしてもらいに保健室に行くろう児。
他の児童もたいがい保健室が好きで、いろんな児童が保健室には出入りしていました。
その様子をふたりなりによく観察していたようで、みんなと同じように保健室に良く出入りしていました。
保健室にいくことで、気持ちを切り替えたり癒されたりしていることが分かっていたので、「はいはい、いってらっしゃい」と担任も私も返事をします。
マユミ先生には「聞こえないふたりのこと、よろしくお願いします」とお願いしてあり、「だぁいじょうぶよ~~」とのお返事もいただいていました。
かゆいだの痛いだのごちゃごちゃ前置きを言っては、ソラとリクはそれぞれがそれぞれのタイミングで保健室によく行っていました。
ある時は、ヨードチンキが『ネコの肉球』模様に塗られていたり、ある時は小さな湿布を貼られてきたり。
彼らの言っていた症状とは違う応急手当をされてくるのが通例になっており、その都度爆笑していた私は、今考えるといささか性格が悪い感じが否めません。
かゆいと言っていたのに、湿布を貼られてくるのはよくありました。
それでも、私(手話通訳)を介さず、保健室の先生と通じないながらも自力でやり取りし、手当てしてもらえたことで満足感を得ていたろう児です。
マユミ先生に後からそのことを伝えると、
「違った?あらやだぁ!いいのよぉ~。あの子たちだけじゃなくて、みんな保健室でちゃちゃっと何かしてもらいたくてきてるんだから。本当に具合の悪い子なんて、一握り。」
…さすがです、マユミ先生。
大人も子どもも癒される
保健室でさぼりたいだけの子どもは瞬時に見抜き、そういう子はいつまでも相手をせずにすぐに教室へ戻していました。
「はいはい、先生これから出かけるからね~(嘘)。」
「はい、頑張って!大丈夫よ!!」
体をくるっと回され、出口の方へやさしく押し出されるので、たいがいの子は、
「は~~い」
としぶしぶ教室へ戻るのです。
マユミ先生のさっぱりした子どもへの対応が私は好きでした。
雨の日や強風の日、台風の日、そんな時は子どもたちも荒れていることが多く、保健室が満員御礼になっていることも。
天気と子どもの様子は比例すると私は思っています。
ろう児だけではなく、私もとってもお世話になった保健室。
気持ちがどうにもならないときや具合が悪いときは保健室でクールダウンさせてもらい、話もたくさん聞いてもらいました。
他の先生たちも、時間を作っては自分の体調のことや子どもたちのことなど、よく相談をしに行っている様子を目にしました。
小学校の中は社会の小さな縮図
「小学校の中は社会の小さな縮図よね」
マユミ先生はことあるごとにこう言っていました。
「この学校はみんなが助け合っているから、ほんと素敵!」
マユミ先生がそう言うたびに、私はなんだかホッとしたのを覚えています。
小学校には耳の聞こえないふたりだけではなく、知的障害や発達障害の児童も何人もいました。
家庭環境の複雑な子や個性的な子も大勢います。
いろんな子どもたちが小学校という場所で、同じ時間を過ごすのです。
教室まで行くことができない保健室登校の子もいました。
保護者もマユミ先生に相談に乗ってもらいにきていることもありました。
学校において、養護教諭の存在は本当に大切で必要なものなのです。
当たり前にあったその環境が、とてもありがたく、とても尊いものでした。