コーダ☆マインド

耳の聞こえない親を持つ聞こえるシオンが考える、コーダのことや手話のこと。

【ろう児教育支援18】補聴器 その1

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地域の公立小学校(ろう学校ではありません)にて6年間、耳の聞こえない児童ふたり(ソラとリク)に手話を使って支援をしてきたコーダの私(シオン)が感じたことや考えていたことなどを書いています。大勢の聞こえる子どもたちと一緒に過ごした日々を少しづつ紹介。聞こえない世界と聞こえる世界の狭間から見えていた様子を、少しでも感じ取っていただけたら幸いです。

ろう児ふたりは小学校入学当初から、両耳に補聴器を装用していました。

「この子たち、音を聞いているんだ…」

支援を始めたばかりの頃、私は戸惑いました。
私の両親はまったく耳の聞こえないろう者ですが、補聴器を使いません。
ですので、コーダの私でも補聴器に関する知識を持っていなかったのです。
「ろう者が音を聞く」
という感覚が、その時の私には分かっていませんでした。

耳掛け式補聴器を間近で見るのも初めてでした。
子どもの小さな耳に、とても存在感のある補聴器です。
ふたりはいつも補聴器を外そうとはしませんでした。
聞こえないながらも補聴器を活用し、音を聞いているのです。
補聴器を外すと何も音が聞こえなくなってしまう二人は、補聴器を上手に活用し、音を聞きとっていました。
ですが、補聴器を着けたからと言ってスムーズに聞こえるようになるわけでは無く、音を感じるレベルになるくらいです。
このあたりが、聴覚障害を説明するにあたって難しいところです。
音を大きくしてあげれば聞こえるようになるわけではありません。
ましてや、ことばを聞き分けることは困難です。

そして補聴器は、騒がしい場所での効果は期待できません。
音という音を拾ってしまうので、
「うるさい!!」
と怒っては、ふたりは補聴器のスイッチを切っていました。

小学校は騒がしいのです。
授業中は静かかもしれませんが、音楽をやっている教室もあります。
盛り上がって歓声が上がっている教室もあります。
どんなに注意をしても、大声を出しながら廊下を駆け抜けていく子がいます。
低学年ならなおさらです。
上の教室から「ドンドン」「ガチャガチャ」と机を動かす音だってします。
「補聴器切れば聞こえなくなるんでしょ?便利よね。」
嫌味ともとれる私のこのことばをふたりはどう受け止めたのでしょうか。
「私の耳にはスイッチが無いからずっとうるさいんだよ」
と続けて言うと、
「そっかぁ!じゃあ聞こえない方が便利じゃん。」
こんな会話をすることもありました。
「聞こえないから夜もぐっすり眠れる!」
と言うソラに、
「音で起きられないでしょ。」
とたたみかける私。
ソラは朝が強く寝起きも良かったので、そこはたいして気にしていない様子でした。
暴風雨の翌日には、
「昨日の夜、風すごかったね~~!!」
という話題も上がります。
きょとんとするろう児ふたり。
「え?…あぁ、そうか。あなたたち聞こえないのよね…」
聞こえないとはこういうことなのかと、ハッとする担任。
「知らないんでしょ?昨夜の風がすごかったこと。」
私はろう児に問いかけます。
「うん、知らない。聞こえないもん。」
「聞こえるとね、音が怖くて眠れないんだよ。」
「ふ~ん」
物音や風の音が聞こえないことは、命の危険を伴います。
家族全員が聞こえないので、誰も音に気がつくことができません。
こういったことは、何度も話をしてきました。
こんな会話が気兼ねなくできたのは、信頼関係があったからだと思います。

私は聞こえない人との生活を経験をしてきています。
その経験を活かし、ろう児にも担任にも、聞こえる人と聞こえない人の違いを説明してきました。
聞こえない人には、聞こえる人の聞こえる感覚が分かりません。
聞こえる人には、聞こえない人の聞こえない感覚が分かりません。
ことあるごとに、一歩踏み込んで、「聞こえないろう児は今こんな感覚です」と説明し、ろう児には「聞こえる人は今、こんな音とことばが聞こえているよ」という風に話してきました。
「聞こえない側が感じていること」と「聞こえる側が感じていること」を私は必要に応じて、どんな時でも語ってきました。

ふたりは家に帰ると、補聴器を外して生活しています。
寝ているときなど、当然補聴器はしていないでしょう。
耳が聞こえない状態が彼らにとって普通の状態で、補聴器は外界の音を拾うために着けているという印象を、私は常々受けていました。

「ことばを聞くために、補聴器は着けさせてください」

ろう学校から、このように指導を受けていました。

聞こえないのに、耳で聞くのか…。
聞こえないのに…。

私はなんとも言えないモヤモヤをずっと感じていました。
ろう児も学校の中では音を必要とし、補聴器を活用して音を聞いていました。
それでも聞こえていない音もあるだろうし、感音性難聴な彼らには正しい音は聞こえないだろうな…と思いつつ、「聞きたい」という彼らの気持ちをずっと尊重してきました。