コーダ☆マインド

耳の聞こえない親を持つ聞こえるシオンが考える、コーダのことや手話のこと。

【ろう児教育支援21】手話の重要性と手話通訳の必要性

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聞こえる子ばかりの小学校に、手話を使うろう児がふたり。
いま改めて考えてみても、特殊な環境だったと思います。
思い返してみると、1年生の頃はろう児も私も、小学校という環境に慣れることに必死だった期間でした。
そしてまわりの聞こえる子どもたちや先生方は、耳の聞こえない子がふたりいることと、そこには必ず手話通訳が当たり前にいるということに慣れていく、大事な期間だったように思います。

2年生になる頃には、こちらも堂々と存在をアピールできるようになりましたし、いろいろと説明しなくても、ろう児ふたりには配慮をしてもらえるようになりました。
(2年生から担任の先生が変わったことがいちばん大きな要因です。)
私も小学校という職場に、どうにか慣れることができました。
新しく赴任して来られた先生方は、あまりにも普通にろう児と私(手話通訳者)がいることと、難聴児への配慮がスムーズにされていることにに驚きつつも、徐々に慣れていってくださっている様子でした。

学校での分掌において、私は「学校サポーター」となっており、役割としては通常は「支援員」です。
行事の際には、うっかり手数として何かの作業に振り分けられていることが何度もありましたが、
「シオン先生は難聴児に常に付いてもらわないと」
と、職員会議などで必ず確認をしていただき、いつもろう児のそばで手話通訳をし、情報保障に務めることのできる環境でした。
私がいないと、ろう児もまわりの先生方も、活動を一緒にする聞こえる子どもたちも困ってしまうのです。
理解が得られていない最初の頃は、困るであろうことが予測できるのは私しかいませんでした。
6歳7歳のろう児が自ら「手話通訳(情報保障)が無いと困ります」ということは説明できません。
私は支援員という立場から、何度も説明をしてきました。

ある先生から授業中に「教材を他の場所から持ってきてくれ」と頼まれたこともありましたが、こういう時、実はとても断りにくい立場でした。
私がろう児に情報保障という業務の最中であるということが、理解されないことは1年生の頃はしょっちゅうありました。
「私がいない間の情報保障は誰がしてくれるんですか!?」という気持ちと、「私がやっている手話通訳という業務が理解されていない」ことに、怒りがあふれそうになっていると、
「私が取りに行きます!」
と、即座に対応してくれたもう一人の学校サポーター(支援員)がいました。
彼女は情緒学級の子に付いていた支援員でした。
「シオン先生がいなかったら、あの子たち困るじゃないですか。」
と笑顔で私の代わりに動いてくれたのです。
忘れられないエピソードのひとつです。
(この彼女とは今でもずっと付き合いがあり、大切な友人です)
担任の先生も、
「いい、いい!私が行きます!!シオン先生、手話して!!」
といつも私をカバーしてくださいました。

そういったことを日々繰り返し、私が何をする人なのか、徐々に浸透していったように感じます。
ろう児のこともですが、手話通訳のことを理解してもらうことも重要でした。
もちろんことばで説明はするのですが、百聞は一見に如かずです。
「手話の重要性と手話通訳の必要性」を実感してもらい、理屈より先に分かってもらうことが大事でした。
日々の経験を積み重ね、その都度理解をしていただきながら、「ろう児と手話通訳者の居場所を作る」ということをいつでもしてきました。

その甲斐あって、6年生の頃には私が何か言わずとも、先生方や聞こえる子たちが率先してろう児と手話通訳者への配慮をしてくださるようになっていました。
「ソラとリクの場所ここでいい?シオン先生はこっちね!」
先生方や聞こえる子たちは、いつも私たちの居場所を用意してくれるようになっていました。
私は手話通訳の性質上、ろう児の正面にいる必要があり、聞こえる子たちの視界を遮ることにもなります。
「私、邪魔じゃない?前見えてる?大丈夫?」
「大丈夫です!」
こんなやりとりをして、常にみんなで協力しあっていました。
理解者が増えることで、環境ががらりと変わります。
理解してもらうまでは大変でしたが、あきらめずにやってきて良かったです。

多くの人に助けられてきた6年間。
先生方やまわりの聞こえる子どもたちに、心から感謝を述べたいです。

地域の公立小学校(ろう学校ではありません)にて6年間、耳の聞こえない児童ふたり(ソラとリク)に手話を使って支援をしてきたコーダの私(シオン)が感じたことや考えていたことなどを書いています。大勢の聞こえる子どもたちと一緒に過ごした日々を少しづつ紹介。聞こえない世界と聞こえる世界の狭間から見えていた様子を、少しでも感じ取っていただけたら幸いです。