コーダ☆マインド

耳の聞こえない親を持つ聞こえるシオンが考える、コーダのことや手話のこと。

手話ができる私。

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「手話ができる」ということばはいつでも物議を醸しだす。
「こんにちは」という手話ができるだけで、「私は手話ができます」という人がいるのはなぜなのだろう。
「hello」と言えるだけでは「私は英語ができます」とは決して言えないと分かるのに、手話となると「できます」になってしまう構造が謎。

それはさておき。

私は2010年くらいから、一念発起して手話を学び始めたのですが、よくよく考えると、私は家庭で父と話すことがあまりありません。
父はおしゃべりではないので、そんなに話す話題も特になく。
これを人に話すと、「うそでしょ⁉」みたいに言われるのですが、世間話も父とはほとんどしないので、「ご飯」「買い物」「お風呂」「寝る」…くらいの話題しか普段はしないような…。
家庭の中での指差しは万能。
あとは、口型、視線、眉間のシワ寄せ、うなずきなどのNMMを使えば、たいていのことは伝わります。
手をガシガシ動かしての手話はあまりしません。

ろう者ともあまり会うということはないまま、職場である小学校で毎日手話通訳をするようになり、手話通訳者の資格も取ったので、おそらく私の人生において、私は「手話で話す時間」よりも「手話通訳をしている時間」の方が長いと思われます。

日常の中で、手話で話す場がいかに無いかと考えさせられます。

最近はZoomでろう者とも話すことができるので、もしかしたら今は割と「手話で話す時間」が長めになっているかもしれません。
コロナ禍でオンラインが普及したおかげですね。

この状況が今後どのようになっていくのか。

昨年を振り返ってみると、どうであれ、物事は前進しているし変化しているので、私も少しづつ進化できているのでしょうか。

何ごとも続けていると、それなりに成果は出ますね。
今後を楽しみに、今を諦めないで、なんとか踏ん張りたいと思います。