コーダ☆マインド

耳の聞こえない親を持つ聞こえるシオンが考える、コーダのことや手話のこと。

ろう学校に通いたかったコーダ

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「私はろう学校に通いたかった」

こう言うと、コーダ同士であっても「その発想は無かった」と驚かれる場合と、「それはあるかもね」的な意見が出る場合と、いろいろです。

私は本気でろう学校に通いたかった子どもでした。
聞こえるからダメだとは分かっていたのですが、耳の聞こえない人たちと一緒にいた方が気持ちが楽だし、自分らしくいられるし、手話も使えるし。
聞こえる大勢の人たちの中に自分がいるイメージが湧かなかったというのもあります。
とにかく両親と同じ学校に通いたいという気持ちが強かったのを覚えています。

他のコーダの話を聞くと、数は少ないですが私と同じように「ろう学校に通いたかった」と言うコーダはいます。
特に、聞こえない兄弟がろう学校に入学すると決まった時に、
「私もろう学校がいい~~~!!!!!!」
と駄々をこねたという強者コーダの話は、私の大好物です。
(私が知っている限りで2名ほどいます)

「あなたは聞こえるから、ろう学校には入れない!」

現実を突きつけられるコーダ。
大人になってからこのエピソードは語られるのですが、

「分かってるんだけど、なんとしてもろう学校に行きたかったよね(笑)」

なんとも愛おしいコーダたちです。
コーダにとって、ろう学校は特別な場所なのかもしれません。

私の両親はろう学校育ちです。
小学校・中等部・高等部。
計12年間、ろう学校という学び舎で、聞こえない仲間と過ごしてきています。
ろう学校を卒業した後は、皆、それぞれの道を進むのですが、結婚となるとやはり相手にはろう者を選び、ろう者同士で結婚するのが当たり前の時代だったようです。
ろう協と呼ばれる、聴覚障害者協会の会員となり、もう50年以上同じ聞こえない仲間たちと活動しています。
ろう学校の同窓会もいつも楽しそうです。
聞こえない仲間と会って手話で話せることが、父の元気の源です。

父は、ろう学校で2年間生徒会長をやっていたと聞いています。
なぜ2年間もやっていたのか、父に何度聞いてもよく分かりません。
「先生に言われたから」
と本人は言っていますが、それは私の知りたい理由とは違います。
なんとかして理由を突き止めたいと思いつつ、月日が経っていきます。
生徒会長をやっていたからなのかは分かりませんが、ろう学校の入学式・卒業式・運動会等、来賓として行事に参加して何度も参加していました。
ろう学校同窓会長をやっていたそうです。
卒業した後も母校に関わることができて、幸せそうです。
嬉しそうにろう学校へ、また同窓会へ出かける父を、私はずっと見てきています。
かつて、父がろう学校で学んでいた当時は手話禁止の時代でした。
口話法の猛特訓を受けた時代。
「先生が何を言っているか分からなかった」
いつも父は、手話でこう語ります。
それでも、「自分の学び舎はろう学校なのだ」と、誇りを持っているように見えるのです。
私には、それがとてもうらやましくて仕方がありません。
目には見えない絆というか、繋がりのようなものを感じるからです。
聞こえる世界になじむことができず、ずっと孤独を感じていた私にとって、それはジェラシーでした。

現在は、私は多くのコーダたちに出会え、様々な話をしたり聞いたりする中で、自分と似たような考えや、あるいはまったく違う考えに触れることで、孤独やジェラシーといった感情は薄れてきた感覚があります。

私にとってろう学校は両親の母校なのですが、自分のルーツに大きく関係しているので、とっても特別な存在です。
似たような想いを持っているコーダは、私のほかにも少なからずいるのではないでしょうか。

 

◆コーダについて◆
あくまでも私の経験と主観に基づいて、私なりに記事を書いています。
コーダがみんな同じような経験をしているわけではありません。
コーダの想いは様々です。どうかご理解いただけると嬉しいです。