コーダ☆マインド

耳の聞こえない親を持つ聞こえるシオンが考える、コーダのことや手話のこと。

【ろう児教育支援32】聞きたくない!

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楽しいことや印象深い出来事をピックアップして書いている【ろう児教育支援】の記事ですが、実際の私は毎日毎日、いつでも激怒しておりました。
よくもまあ、こんなに毎日怒れるもんだと自分でも驚きましたが、それくらい私はしょっちゅう怒っていました。
ろう児ふたりに対して。
隣のクラスの子が「シオン先生、いつも怒鳴ってるよね。聞こえるよ。」と教えてくれることもありました。

怒ると言っても私は感情をただぶつけていた訳ではなく、約束やルールを守らなかったり、自分勝手な行動をしたふたりに注意をする意味で怒っていたのですが、それにしても、毎日私は怒っていました。
怒鳴ったところで声はふたりには聞こえません。
ただ、補聴器は着けていたので、何かしらの音は耳から入っていたと思います。
大きな声で怒るだけではなく、当然私は手話でも怒るので、声が耳から聞こえていなくても手話を目で見ることで、彼らは「自分のしたこと」、あるいは「やるべきことをやらなかったこと」に気がつくことができました。

聞こえる子は聞きたくないことは聞き流すこともできますが、そもそもふたりは聞こえないので、私は手話で説明し続けました。
すると、みるみる顔色が変わり、自分がいかに悪かったかということを自覚していく様子を見せます。
そんな時、聞こえる子が「これ以上聞きたくない!」となった場合、両耳を手でふさぎ、ぎゅっと目をつむると思うのですが、聞こえないふたりはそうではありません。
両手で両目を覆うのです。

「シオン先生の手話、これ以上見たくない!!」

聞こえない上に目まで覆われてしまっては、こちらはそれ以上話を進めることができません。

「ちゃんと見なさい!」

両手を外させようとするのですが、ものすごい力で目を覆っています。
よっぽど話を聞きたく(見たく)無かったのでしょう。
手を外させたとしても、その後もぎゅうっと両目をつぶっていますので、そこまで抵抗されると、もう呆れてしまいました。

「次からはしっかりやります!」

ろう児は聞こえる私に聞こえるように、声で謝ってきます。
こういうところは、ろう児も分かっているのです。
聞こえる人には声で言えばいいということを。

「あのね、謝ることも大事だけれども、人の話は最後まで聞きなさい。」
(手話では「最後まで見なさい」とも表出)

と、私は怒りながらも、手話で何度も何度も同じことを説明するのです。
毎日毎日ネタは尽きることなく、私は怒っていました。

しかし今思えば、やはり手話があって良かった、手話が分かる子たちで良かった、とつくづく思うのです。
音声は聞こえず、手話も分からなければ、怒られている内容など分かりようがありません。
ただひたすら怖い顔で口が動いている先生の顔を見ているだけで、空白の時間が過ぎ去るだけです。

小学生時代から、ことば(手話)を目で見て理解していく経験を6年間積み重ねられたことは、彼らにとって非常に重要だったと私は強く思っています。

 

地域の公立小学校(ろう学校ではありません)にて6年間、耳の聞こえない児童ふたり(ソラとリク)に手話を使って支援をしてきたコーダの私(シオン)が感じたことや考えていたことなどを書いています。大勢の聞こえる子どもたちと一緒に過ごした日々を少しづつ紹介。聞こえない世界と聞こえる世界の狭間から見えていた様子を、少しでも感じ取っていただけたら幸いです。