手話ができる私。
「手話ができる」ということばはいつでも物議を醸しだす。
「こんにちは」という手話ができるだけで、「私は手話ができます」という人がいるのはなぜなのだろう。
「hello」と言えるだけでは「私は英語ができます」とは決して言えないと分かるのに、手話となると「できます」になってしまう構造が謎。
それはさておき。
私は2010年くらいから、一念発起して手話を学び始めたのですが、よくよく考えると、私は家庭で父と話すことがあまりありません。
父はおしゃべりではないので、そんなに話す話題も特になく。
これを人に話すと、「うそでしょ⁉」みたいに言われるのですが、世間話も父とはほとんどしないので、「ご飯」「買い物」「お風呂」「寝る」…くらいの話題しか普段はしないような…。
家庭の中での指差しは万能。
あとは、口型、視線、眉間のシワ寄せ、うなずきなどのNMMを使えば、たいていのことは伝わります。
手をガシガシ動かしての手話はあまりしません。
ろう者ともあまり会うということはないまま、職場である小学校で毎日手話通訳をするようになり、手話通訳者の資格も取ったので、おそらく私の人生において、私は「手話で話す時間」よりも「手話通訳をしている時間」の方が長いと思われます。
日常の中で、手話で話す場がいかに無いかと考えさせられます。
最近はZoomでろう者とも話すことができるので、もしかしたら今は割と「手話で話す時間」が長めになっているかもしれません。
コロナ禍でオンラインが普及したおかげですね。
この状況が今後どのようになっていくのか。
昨年を振り返ってみると、どうであれ、物事は前進しているし変化しているので、私も少しづつ進化できているのでしょうか。
何ごとも続けていると、それなりに成果は出ますね。
今後を楽しみに、今を諦めないで、なんとか踏ん張りたいと思います。
【ろう児教育支援27】ツインズ
ふたご。
それは人が誰しも一度は憧れる兄弟姉妹の形。
ろう児はふたごの男児でしたが、私のまわりはふたごだらけでした。
1年生のときの難聴学級担任の、マサヒト先生はお子さんがふたご。
「男の子と女の子のふたごなんだよ」
この時点では、「そんなこともあるんだな」くらいの私でしたが、
【ろう児教育支援26】「小学校、むずかしい?」 - コーダ☆マインド
ここで書いた一卵性双生児(男児)がいました。
一卵性双生児の男児ふたりは、交互に私のところにやってくるので、全然見分けがつきません。
どう見ても同じ顔です。
その学年の子らや先生方に話を聞くと、
「全然性格が違うよ?」
と言われるのですが、毎日見ていないので、私には見分けることはできませんでした。
さらに言うと、どちらも自分ではない方の名前を名乗るので、ずっと騙されていた感が否めません。
やんちゃなふたごでした。
ろう児の同級生には、男の子と女の子のふたごがいました。
あまりふたごっぽさは感じませんでしたが、ふたごの場合、授業参観や親子レクなど学校行事があるときには、子どもひとりに親ひとり付かなければならないときがあり、ろう児の保護者もそうなのですが、お父さんもお母さんも参加されていて、普通の兄弟姉妹とは違う大変さがあるな、と思って見ていました。
そしてなんと、2年生から難聴学級担任だったナカガワ先生は、ご自身がふたごでした。
「私もふたごなのよ。おんなじ顔がもうひとりいるの。」
と言われたときは、心底驚きました。
「ふたごがふたごを教えている…」
なんだか不思議な感覚でした。
ろう児のふたつ下の学年には、女の子の一卵性双生児がいました。
休み時間になると、
「シオン先生、手話を教えてください!」
と私のもとへ足しげく通って来ました。
体が小さなふたりはとても可愛らしく、性格は真面目で、真剣に手話を学んでいた様子はとても印象に残っています。
他のお友達と一緒に来たり、ときにはひとりで来たり、時間を作っては熱心に私のところへ通ってきました。
こちらの一卵性双生児(女児)は私にも見分けがつくようになりました。
性格が違うし、声や喋り方が違うのです。
だんだんと顔が違うのも分かるようにはなりましたが、遠目だと背格好は一緒でした。
「ちょっとふたご率が高くないかな?」
不思議な環境ではありましたが、ふたごのろう児や、そのほかのふたごとの出会いは、私の人生の中でもユニークな出来事です。
【ろう児教育支援26】「小学校、むずかしい?」
算数や国語は漢字はまだ1年生の段階では習っていないので、「さんすう」「こくご」と表記されていました。
そんな頃のエピソードから…。
まだ入学して間もない頃、小さなソラから訊ねられました。
「小・学・校、…むずかしい?」
声を出しながらの手話で、首をかしげて、私にこう訊いてきたのです。
どうやら、ソラは性格も楽観的で小学校はそんなに大変な場所ではないと思って入学してきた様子。
それをどうやら母親にたしなめられたみたいです。
「むずかしいよ~~~~」
私はわざとらしく、そう答えました。
ソラがどうそれを捉えたかは分かりませんが、ソラもリクも毎日元気に登校してきていました。
2時間目が終わると中休みです。
弾丸のように教室を飛び出し、ふたりは聞こえる子どもたちと一緒に遊具などで遊んでいました。
上級生にとても可愛がられ、女の子たちに囲まれているときがよくあり、「可愛い可愛い」ときゃあきゃあ言われながら、面倒を見てもらっていたふたりです。
面白いと思ったのが、ふたごの彼らはふたごの上級生に気に入られており、校内ですれ違えば、ふたご同士でハイタッチをしている様子がうかがえました。
「ふたごにはふたごにしか分からない感覚があるのだなぁ」
とつくづく思ったものです。
男の子のふたごです。
ソラとリクは二卵性なのでまったく似ておらず、すぐに見分けがつくのですが、ふたりが1年生の頃5年生にいたふたごは一卵性双生児で、私にはまったく見分けがつかず、小学校を卒業してもたまに顔を見せに来てくれていたのですが、さらに見分けがつかなくなっていたのを思い出します。
ろう児ふたりはチャイムの音は聞こえるようで、休み時間が終わっても教室に帰ってこないということはありませんでした。
まわりの子どもたちが一斉に撤収しだすので、それで分かったというのもあったとは思いますが。
授業中の音声情報や音情報は私が手話で伝えていました。
1年生の頃の学習内容はふたりにとっては簡単だったらしく、テストが大好きでした。
テストはもはやゲーム感覚。
低学年の頃のテスト内容は、文章を書いて答えるものはほぼありません。
毎回ほぼ満点をたたき出していました。
「テストをやりまーーす!!」
「イエーーーイ!!!!!!」
ふたりとも身を乗り出してのガッツポーズです。
その様子が毎回なんだか可笑しくて、私は笑ってしまいました。
「テストだよ?分かってる?」
「うん!!」
なかなか授業に集中できなくても、テストは紙面に向かって書き込むだけなので、もの凄い集中力でテストをやっていたのを思い出します。
ふたりで競争していたというのもあったのかもしれません。
そんな彼らも、3年生くらいになった頃でしょうか。
「テストをします!」
「えーーーー!!」
だんだんと嫌がるようになってしまったのです。
これが成長か…と思ったものです。
5年生、6年生の頃には、
「テストをします。」
「……。」
青ざめた表情のふたり。
身を乗り出して「イエーーーイ!!!!!!」とやっていたのは、もはや過去のこと。
「イエーーーイ!!って言わないの?」
「…テスト嫌です…」
大人になっていくのは当然のことなのですが、寂しさを感じた私です。
無邪気だった頃には戻れません。
小学校での月日は、あっという間に子どもを成長させるのです。
【ろう児教育支援25】ろう児は聞こえる人に合わせる
ろう児ふたりのまわりは、みんな聞こえる人たちばかりでした。
子どもたちも先生たちも。
支援をしていた私も、聞こえる人です。
ある日の体育の授業の時でした。
グラウンドの広範囲で活動していた子どもたち。
聞こえる子どもたちは、大きな声でコミュニケーションを取っていました。
チャイムが鳴ればさすがにろう児も気づくのですが、この日は予定が後々詰まっていいて、そのためチャイムが鳴る前に授業を終了しました。
グラウンドに散らばっていた子どもたち。
ボールを使った活動をしていたと記憶しています。
まだなんとなく動きを続けている子どもがまわりにいると、ろう児には終わりだという情報が伝わりません。
勘の良いソラは早々に気がつき次の行動に移せたのですが、リクはまだ気がついていない様子でした。
私からリクまでの距離がかなりありました。
「聞こえないしな~、どう伝えようかな。」
と悩んでいると、私の近くにいたユウトが、
「リクーーーーー!!終わりーーーーー!!!!」
と大声で叫びながら、「終わり」の手話を大きくやって、リクに伝えてくれたのです。
すると、リクは気がつきました。
私はてっきり、リクは「分かった」の手話をするもんだと、胸を大きく叩く姿をイメージしたのですが、
「分かったーーーーーーー!!!!!」
リクは大きな声だけで返事をしました。
その後は声を出さずに、リクと目線をずっと合わせながら、何度もしつこく「終わり」「終わり」と手話をするユウト。
離れた場所のユウトと目を合わせ、うんうんと首を縦に振り、うなずきで返事を返し続けるリク。
「ありがと、ユウト。」
私がそう伝えると、「へへっ」と笑いながら、ユウトは教室へ戻ります。
リクもボールを片付けて、教室へ戻りました。
聞こえる友だちに合わせて声で返事をするのは当たり前なのかもしれませんが、手話と音声をろう児なりに、相手に合わせて使い分けているということが分かった瞬間でした。
それから、こんなエピソードがあります。
彼らが1年生の時、教頭先生は女性のカンバヤシ先生でした。
ろう児のことをとても気にかけてくれており、私にもいつも声掛けをしてくださっていた先生です。
1年生のふたりが、なぜが夕方5時過ぎに校庭の遊具で遊んでおり、声をかけたのだそうです。
私はすでに勤務時間を終えていたので帰宅していたのですが、その時の様子を話してくださいました。
「ふたりで遊んでいたんだけどね、下校時間はとっくに過ぎてるし、学童も開いてない日だったし。声をかけたかったんだけど、伝わるかなぁって思って。でも私、話しかけたのよ。」
続けて教頭先生はこうおっしゃいました。
「どうもお母さんを待っていたみたいなのよね。6時にはお母さんが迎えに来るんだって言うのよ。あの子たち、『6』ってこう出したわよ。」
左手の手のひらに右手の人差し指を一本添える形を表していました。
6歳にして、教頭先生には手話は分からないから、ろう児はそう表したのだということが分かりました。
「手話で『6』ってあるんでしょう?でも、あの子たち、私に合わせてくれたのよね。」
教頭先生の気づきにも、ろう児のやりとりにも、感慨深く感じたエピソードです。
理解者の存在は、ろう児にとってはもちろんですが、私にとってもありがたい存在でした。
【ろう児教育支援24】保健室でも怒られる
児童がきちんと人の話を聞いているかどうか。
これは教育の中で、至極大事なことです。
しかし、ろう児(難聴児)は耳が聞こえないため、話を聞くことが困難です。
この『話の聞きかた』へも書きましたが、ろう者は分かっていないのにうなずくことをすると書きました。
ある日、ソラを連れて保健室に行ったときに、マユミ先生から話しかけられたソラは、聞こえていないため話の内容などなにも分からないのに、
「…はい!…はい!分かりました!」
と私の目の前で、大きな声で返事をしたのです。
普段聞こえる人たちと常に関わっているソラは勘も鋭く、まるで聞こえているのではないのかと思わせるような行動を取ることが多々ありましたが、これだけは私の逆鱗に触れました。
「ソラ!!マユミ先生が今何て言ってくれたか私に言ってみなさい!!」
ビクッとなったソラは、
「分かりません…」
「分からないのにどうして返事をしたの!!」
しまった…!という顔をするソラ。
普段、人から話しかけられたらいつもこうやって適当にその場をやり過ごしていたのでしょう。
聞こえない子が適当に返事をしてその場しのぎをすることは仕方のないことかもしれません。
ですが、それは時と場合によります。
「なんで返事をしたの!答えなさい!!」
私に叱られたソラは、「…早く教室に戻りたかったから…」と言いました。
「ソラ、マユミ先生はやさしい先生だから悪いことは言わないけれど、あなたは聞こえていないのだから『はい』と適当に返事をしてはいけない!相手が意地悪なことや大切なことを言っていたらどうするの!?『後から、聞こえないので分かりませんでした』じゃ済まないこともあるんだよ?」
ソラがこの話を分かったのか分からなかったのか、そのあたりは私の記憶の中で薄れてしまっていますが、保健室のマユミ先生の目の前で、ろう児を怒鳴りまくった印象だけが記憶として残っています。
マユミ先生に「大きな声を出してすみません」と謝ったので、よく覚えているのです。
「適当に返事をして、トラブルに巻き込まれてしまうかもしれない…!」
私が激怒したのは、そんな想いが巡ったからです。
聞こえる子と同じように返事がしたかったのかもしれません。
ですが、実際ソラにはことばは何も聞こえていないのです。
理解できたはずがありません。
そんな出来事があり、保健室のマユミ先生も私(手話通訳)がいないときは、筆談でろう児とやりとりをしてくれるようになりました。
私が最初から筆談をお願いしておけば、ソラは怒られることは無かったのかもしれません。
ですが、起こるべくして起こった出来事だと私は思いました。
聞こえない本人が「聞こえないから書いてほしい」と伝えることも必要だし、聞こえる側も相手の耳が聞こえないと分かっているのであれば「声では無く、紙に字を書いて伝える」という配慮が必要になってきます。
しかし、まだ小学生のろう児には「書いてください」というのは難しかったかもしれません。
そして聞こえる側は、忙しくて手がふさがっていたかもしれません。
書く暇などないかもしれません。
それが現実社会なのです。
ソラとリクは音声で話すこともしていましたが、たとえ音声で話すことができても、耳でことばを聞くことはできません。
聞こえるようにはならないのです。
だからこそ、ひとつひとつのコミュニケーションを大切にしてほしいと強く指導をしてきました。
私の想いが少しでも、ふたりの心に伝わっていることを願うばかりです。