コーダ☆マインド

耳の聞こえない親を持つ聞こえるシオンが考える、コーダのことや手話のこと。

【ろう児教育支援17】話の聞きかた

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地域の公立小学校(ろう学校ではありません)にて6年間、耳の聞こえない児童ふたり(ソラとリク)に手話を使って支援をしてきたコーダの私(シオン)が感じたことや考えていたことなどを書いています。大勢の聞こえる子どもたちと一緒に過ごした日々を少しづつ紹介。聞こえない世界と聞こえる世界の狭間から見えていた様子を、少しでも感じ取っていただけたら幸いです。

大人のろう者によくある傾向なのですが、うなずいて話は聞いているものの、実はその話の内容をほとんど理解していないということがあります。
その時のうなずきは「話を聞いていますよ」という意味であり、「話の内容が分かりました」とは違う場合があるのです。
これはろう者と話をするときは気を付けなければならないのことのひとつです。
聴者のように、「うんうん」と声を出しても、相手がろう者であれば、その「うんうん」は聞こえないので意味がありません。
「私はあなたの話を聞いていますよ」と相手に見せるには、うなずきをするしかないのです。
他にも理由があって、「話の内容が分からなくても相手がせっかく話してくれているのだからうなずいて聞いている(ふりをする)」、「話を早く終わらせたいからとりあえずうなずく」などが理由にあります。
これには本当に気をつけなければなりません。
ろう者と一緒に過ごした経験が長い人や手話通訳者は、ろう者が話を理解しているかどうか様子をみながら手話をします。
私(コーダ)の場合は、他人と話をしていて適当にうなずいている親の姿を見ていましたので、「分かってないでしょ、今の話。」と見抜くことができます。
例によって、ろう児ふたりもいつも私に見抜かれていました。

ふたりは幼かったため、まず、うなずきながら話を聞くということができませんでした。
話(手話)をしても聞いているのか聞いていないのか、(手話を見ていたとしても)分かったのか分からないのか、どうなのかが分からないことがありました。
「分かったの?」と聞くと、「分かった」と言います。
その後の行動を見ると指示どおりに動くので、分かったのだとこちらも確認できます。
とはいえそれでは今後困るので、「分かったらうなずくこと」を教えました。
小学校では、聞こえる子どもたちにも「話の聞き方」を指導をします。
聞こえる・聞こえないは関係なく、小学生の時点では、「人の目を見て話を聞く」・「人の目を見て話す」という指導をことあるごとにしていました。
耳の聞こえないふたりには、大人のろう者がやっているように、特にうなずきが大切であることを私は伝えました。
卒業までの間、ふたりはあまりこれができなかったような気がしますが、「できない」のではなくて「しない」のだな、と思って私は見ていました。
無理もありません、まわりはみんな聞こえる子ばかりで、みんなは人の話を「耳で聞いていました。
聞こえる世界の中にいる聞こえないふたり。
まわりの子と同じようなふりをしていたかったのでしょう。
ふたりの気持ちも尊重しつつ、私は支援を続けてきました。

私の手話をじっと見続けられるようになったのは、4年生の頃だったと思います。
それまでは、私が手話を見るように促し、見ていなければこっちを向かせ、私からふたりの視界に入っていくようにしていました。
夏休み明けの始業式で、じっと手話を見ることができるようになったふたり。
「こんなに急に成長するものなのか…」と驚きつつも、ろう児の成長をひしひしと感じながら、こちらも身が引き締まる思いで手話通訳をした感覚は忘れられません。

授業中の場合は集中力も関わってきますし、子どもの頭の中は誘惑だらけでした。
「今、話聞いてなかったでしょ? 何考えてた?」と聞くと、
「え~~っと、コロ○ロコミックの発売日だな~~って…」とか
「明日のキャンプ、楽しみだな~~」とか。

たいてい聞いていない(手話を見ていない)のはソラでした。
まさに上の空なのです。

「目があいてるだけじゃないの…」

と担任のナカガワ先生が呆れながら言った名言は、今でもはっきり覚えています。
本当にそのとおりだと思いました。
耳の聞こえない子が目をあけてこちらをみていたとしても、本当に見ているかどうか怪しいのです。
聞こえない上に見ていないとなると、話は何も伝わらないので、私も担任もほとほと困り果てた時期がありました。
そんなこんなを繰り返し、私はソラが話を理解しながら聞いているかどうか、分かる能力がついてしまいました。
ちなみにリクは割と話を聞いて(手話を見て)いましたが、分からないところはスルーしていたみたいです。
それはそれで困ったものですが、聞こえる子たちもなんだかよく分からないままなんとなく動いていることなどざらにありました。
リクは許容範囲でしたし、もともとの性格が慎重派だったので、大きな問題はありませんでした。

「手話を見て話を理解すること」を、聞こえる小学校の中で徹底的にやってきたと思います。
6年間、手話をとても大切にしてきました。
先生方やまわりの聞こえる子たちも、それを理解してくれているありがたい環境でした。

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