コーダ☆マインド

耳の聞こえない親を持つ聞こえるシオンが考える、コーダのことや手話のこと。

【ろう児教育支援8】お習字

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ろう児ふたりはお習字を習っていました。
硬筆の頃からだと記憶しているので、1年生の2学期後半あたりからでしょうか。
その成果もあり、二人は字がきれいで上手でした。
私はふたりの書く字がとても好きでした。
書きぞめでは毎年賞をもらうほどの腕前です。
3年生からの書写の授業は硬筆に加えお習字も始まりましたが、聞こえる子どものようにすんなりとはいきませんでした。
いえ、聞こえる子どももお習字は戦いなのです。
墨汁をこぼす子は必ずいました。
流し(水道)の使い方が汚くて、書写の授業はのあとは廊下も流しもあちこち汚れ、書写の授業のあとは、必ず誰かが先生から怒られているのはもはや小学校あるあるです。

4年生時の校長先生が書道の得意な先生でした。
その校長先生が意気揚々と、聞こえない二人のために、ご指導しに難聴学級へ来てくださったときのことです。
大変でした。
……私が。
どんな場面でも通訳をしてきた私ですが、このときばかりは限界を感じました。

校長先生は子どもの後ろから手を直接とり、子どもと一緒に筆を動かしてくださいました。
聞こえる子なら後ろからの校長先生の声をききつつ、微妙な角度・止め・払いなど、筆を動かせます。
しかし今回の相手はろう児なのです。
ろう児も必死ですので、筆を動かしながら校長先生の指示に従おうとはします。
ですが、校長先生のおっしゃっていることがふたりには聞こえません。
私はろう児の視界に入ろうと、机より下に体制を低くし、なんとか伝えようとしましたが、こんなに視界に入れないことは今だかつてありませんでした。
ろう児の目線は筆の先です。
手話を見るために視線をずらすと、手元が狂ってしまうのです。

無理すぎる!!

聞こえないということは、こういうときに大変なのだとつくづく感じました。
ふたりも大変だったと思います。

「こっちに顔を向けなくていい!そのまま書きなさい!」

床に這いつくばるようにして、私がろう児の視界に入り込み、校長先生の指導を手話で伝えました。

なんとか指示を手話で伝え、校長先生にご指導いただけたろう児は、満足そうに書き上げ、とても嬉しそうでした。
そして、校長先生は二人のためだけにお手本も書いてくれました。

「校長先生、うま~~い!すご~~い!」

ふたりは目をキラキラさせていました。

ろう児がお習字を習っていること自体が珍しいことだなと、私は常々感じていました。
聞こえる子どもが当たり前に通えるお習字も、聞こえない子どもにはハードルの高いことなのです。
「お習字の先生とどうやって会話してるんだろう」
私はずっと疑問に思っていました。
本人たちは普通に会話できていると思っている様子でしたが、普通とはいったいなんなのでしょうか。
墨汁で真っ黒に汚れた筆と下敷きとかばんを見ながら、お習字教室でもよくケンカするという彼らの話を聞くだけで、私はいつもゾッとしていました。
お習字の先生のお気持ちを考えると、胸が痛んだものです。

そういえば、世の中の聞こえない子どもたちは習い事はどうしているのでしょうか。
ふたりの同級生に聞いてみると、聞こえる子どもたちは様々な習い事に通っていました。
ピアノ、英語、塾、サッカー、テニス、茶道、空手、少年野球……。
ここでも聞こえないことが理由で世界が狭くなってしまう印象を受けました。
聞こえないと社会経験が乏しくなる傾向があります。
習い事に手話通訳はつけられるのでしょうか?
それとも習い事にもお母さんが付かなければならないのでしょうか。
では、お母さんも聞こえない場合は?


世の中は見えない障害がトラップのように隠れているのです。

 

地域の公立小学校(ろう学校ではありません)にて6年間、耳の聞こえない児童ふたり(ソラとリク)に手話を使って支援をしてきたコーダの私(シオン)が感じたこと・考えていたことなどを書いています。大勢の聞こえる子どもたちと一緒に過ごした日々を少しづつ紹介。聞こえない世界と聞こえる世界の狭間から見えていた様子を、少しでも感じ取っていただけたら幸いです。