コーダ☆マインド

耳の聞こえない親を持つ聞こえるシオンが考える、コーダのことや手話のこと。

【ろう児教育支援12】ベンチとペンチとペンキとベンキ

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地域の公立小学校(ろう学校ではありません)にて6年間、耳の聞こえない児童ふたり(ソラとリク)に手話を使って支援をしてきたコーダの私(シオン)が感じたことや考えていたことなどを書いています。大勢の聞こえる子どもたちと一緒に過ごした日々を少しづつ紹介。聞こえない世界と聞こえる世界の狭間から見えていた様子を、少しでも感じ取っていただけたら幸いです。

「なんだこの記事タイトルは」と思われることと思います。
実にバカバカしいのですが、これもまた懐かしい出来事なのです。

ベンチ/ペンチ/ペンキ/べんき

この4つは、口形(こうけい)がまったく同じで、音が無ければ判断しにくいことばです。
手話や指文字が付けば、ぐっと分かりやすくなります。
このようなことばとは毎日毎日向き合っていましたが、今回は特に忘れられないエピソード。

ろう児と向き合う日々。
「こんなことも知らないのか。知らないよね、そうだよね。聞こえないもんね。」
と、ふたりが低学年の頃は毎日繰り返し思っていました。
ろう児は年齢相応のことばを知らないまま日々が過ぎていき、身体は成長してしまいます。
そのことが分かっていたので、焦りはさほどありませんでしたが、常に念頭に置いて支援をしてきました。

聞こえる同級生が50人近くいます。
聞こえる上級生下級生が大勢います。
『この学年だとこのくらいの会話ができる、このくらいのことばを知っている』ということが分かり、比較できる環境でした。
聞こえないから知らないことがあっても仕方がないのですが、だからといって知らなくてもいい訳ではありません。
私はしつこく彼らにことばを伝えました。
担任の先生が「そこまでしなくても…」と言うくらい、私は妥協しませんでした。
なぜなら、彼らは必ず覚えることができると信じていましたし、聞こえない彼らの数少ないチャンスのひとつひとつを濃くして、なんとしても伝えたかったからです。

毎日、学校生活や授業で出てきたことばを確認しながら手話通訳を行ってきました。
教科書に出てくる言葉は「学習言語」であり、「生活言語」とは違います。
朝の会や帰りの会、学級会、友達との会話……。
そこには落とし穴のようにろう児の知らないことばがたくさんありました。
それはもう朝から夕方まで、いろんなことばに苦戦しました。

まずは手話を見せる(手話通訳する)

首を傾げるろう児

指文字をする

さらに首を傾げる

知らないことばだと分かる

説明を加えながら、手話通訳を続ける

分からなかったことばは担任に必ず報告しました。
どうにか時間を作って、4人でことばの確認作業を毎日行ってきたのです。
(この作業は、ふたりが卒業する直前まで欠かさずずっと行っていました)

手話通訳をしている際、私は両手を使っているのでメモを取ることができません。
そして、脳内では手話通訳の一連の作業を行っているので(聞く⇒理解⇒記憶⇒翻訳⇒手話表出…これをずっと繰り返しています)、ふたりがどのことばを知らなかったのか分からなかったのかを私が覚えていることが非常に大変でした。
教室での授業中ならまだサッとメモを取れることもあったのですが、例えばこれが集会での校長先生のお話や校庭での活動中など、いつでもどこでもろう児の知らないことばは出てきました。

二人はだんだん賢くなってくると、分かったふりもしました。
知ってるふりもしました。
反応すらしなくなります。
しかし、私は見逃しません。

「さっきの○○○、説明してみ?」
と後で確認すると、
「えへへへへ~~、分かんない」
と平気で言ってくるのです。

許しません。

担任と協力し合って、「ことば絵じてん」、本、写真、インターネット、筆談、イラストをその場で描くなど……
ありとあらゆるものを駆使して、分からないことばを理解させました。

ベンチ
ペンチ
ペンキ
べんき

この4つが出てきたときは、本当に究極だと思ったものです。
究極だともう笑えてきてしまうのですよね。
(なぜこれが出てくる状況になったのか思い出せませんが、ろう児の言い間違いから始まったのだと思われます)

「ナカガワ先生、すみません!今、これが大事なんですが!!(笑)」
「いいよ!教えてあげて!(笑)」

こんなやりとりが毎日繰り返されたのです。
私と担任は笑いながらも『教えなければ』と使命感に燃えていました。

ナカガワ先生は2年生~4年生までの3年間、難聴学級の担任をしてくださった、双子にとっても私にとっても、神様みたいな先生です。

そして、今だから言えること。
ろう児にどんどんことばを覚えてもらわないと、次から次へと新しいことばが出てくる学校生活で、通訳がスムーズに行えなくなることを私は恐れていたのです。
ただでさえ一日中、たった一人で通訳していました。
説明を加える時間も限られています。
短時間で集中して理解させ、覚えさせ、常に最新の情報を伝えてあげたいという想いがありました。
聞こえるみんなと同じ世界を、後から知るのではなく、同じ瞬間に感じさせてあげたかったのです。

しかし、限られた時間の中で、まさかベンチとペンチとペンキと便器との違いを教えることになるなんて思ってもいませんでした。

大概、ろう児のちょっとした言い間違いから
「これはきちんと区別させなければ!」
となるのです。

口の形は同じ。
同じ3文字。
ですが、意味が全然違います。
音(音程)で理解させることができないので、こちらも必死になります。
指文字で伝えたとしても、幼い子どもには何のことなのかさっぱり分かりません。
ただ指の形が変化しているだけです。
手話で伝えれば分かりますが、それも文字と意味をきちんと連携させなければ意味がありません。

ろう児がこれを発音するのですが、正しく言えているかどうかがかなり怪しいのです。
想像してください。
ろう児が真顔で、「ベンチ・ペンチ・ペンキ・べんき」と音声で言っている姿を。
私は決してろう児のことをバカになどしていません。
こちらも必死なのです。
しかし、彼らの発音力では限界でした。
4つとも同じ発音なのです。

間違っていることを悟られまいと、ろう児もごまかしにかかってきます(これが厄介)。
間違っているのを承知の上で、なんとかごまかそうとしてきます(ホント厄介)。
間違っていれば当然指摘されるので、ろう児は発声を嫌がります。
こちらは間違ったまま覚えさせる訳にはいかないので、意識を強めて確認を行います。
音声でごまかしてきたものは、すぐに指文字をさせます。
案の定間違っているので、すぐに指摘し、覚え直させました。

私「違ーーう!」
ろう児「えー!違うのー!!」

これをいつも2回ずつ、つまり二人分毎回やってきました。
双子とはいえ間違える箇所はそれぞれ違います。
ひとりが私とコンビを組み、もうひとりのろう児をチェックするというやり方もしました。
担任も加わり、4人で確認し合う場面も何度もありました。

ろう児への支援は、毎日が「ことば」との戦いでした。

はたから見ていると、まるでコントのようなやりとりをしていたと思います。
私とろう児ふたりのことばのやりとりを、まわりの聞こえる子ども達や先生方は、いつも笑いながら温かく見守ってくれていました。
というか、本当に笑われていました。
涙を流して腹を抱えて笑っている人たちもいました。
楽しい思い出です。

ろう児にとって、ことばは本当にむずかしい。