コーダ☆マインド

耳の聞こえない親を持つ聞こえるシオンが考える、コーダのことや手話のこと。

【ろう児教育支援11】目が安い

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地域の公立小学校(ろう学校ではありません)にて6年間、耳の聞こえない児童ふたり(ソラとリク)に手話を使って支援をしてきたコーダの私(シオン)が感じたことや考えていたことなどを書いています。大勢の聞こえる子どもたちと一緒に過ごした日々を少しづつ紹介。聞こえない世界と聞こえる世界の狭間から見えていた様子を、少しでも感じ取っていただけたら幸いです。

「目が高い」というということばがあります。
「見る目がある」とか「ものを見分ける力が優れている」とか、そういった意味の言葉です。
手話には「目が安い」ということばがあります。
これはとても手話らしいユニークなことばだと私は思っています。
「見る目が無い」「ものを見分ける力が無い」という意味になるでしょうか。

ろう者は「目の人」と言われることがあるようです。
聞こえない分、確かにいろんなところをしっかり見ていると思います。

ではろう児はどうでしょうか。

私は6年間ふたりのろう児と毎日過ごしてきましたが、彼らの見る力は人並みだったように感じました。
「聞こえないからよく見ているのでは」
と思いたかったのですが、実際には見ているようで見ていなかったり、見るポイントがずれていたり……。
子どもだからなのか、性格性質なのか。
はたまた聞こえる子たちと一緒に過ごしているから、感覚が聞こえる子のようになっているのか……。
いろいろ考えましたが、私は考えるのをやめました。
結論はひとつだったからです。

「ちゃんと見てないな……!」

ふたりの行動を見ていると、見ていないことがよく分かったのです。

私は両親ろう者のコーダなので、子供の頃から見ることに長けていたと自分でも思っています。
耳の聞こえない両親の影響を大きく受けて育ちました。
6年間、コーダであることを存分に活かしてろう児を支援してきました。

見ていないことで失敗を繰り返す彼らに、
「目が安い」
という手話をします。
もはや定番になりすぎていた手話です。
6年生の頃には、
「俺、目が安い~~。うわ~~ん!!」
と、自ら反省する姿も見られたほど、この言葉は定番になりました。
私は、しっかり見ることの重要さをふたりにずっと言い続けてきました。
ふたりは補聴器を両耳に装用していましたが、補聴器をつけていても音や言葉を聞き分けることは困難を極めることでした。
だからこそ私は言い続けたのです。
「目で見ろ!」と。

「シオン先生はなんでそんなに目が高いの?」

ふたりはいつも不思議そうに私に聞いてきました。

「あなたたちと同じろう者に育てられたからだよ」

ろう児の思考や行動に寄り添い、聞こえない側からのアドバイスと、聞こえる側からのアドバイスの両方を私はいつも伝えていました。

「シオン先生はずるいよ!先生は両方分かる!!聞こえないことも。聞こえることも。」

ふたりはいつもそう言っていました。
そんなとき、私は笑ってこう答えるのです。

「バレないと思って悪さするなよ~~」

「聞こえない人には分からないだろう」と聴者が思うのと同じように、「聞こえる人には分からないだろう」という思考がろう者にはあります。
ふたりも幼いながらにその思考を持っていました。
そして、普通の子どもと何ら変わらず、大人に嘘をつくこともします。
私はそれらの思考をいつでも見抜いてきました。
しかし時々、子ども特有の思考は私には読み切れないときがあり、そんなときは教員が必ず見抜きました。

聞こえない人の思考が分かる私は、彼らの言動がなぜそうなってしまうかということを、聞こえる先生にいつも説明していました。
ふたりにも、
「今こういうことを考えていたでしょう」
と確認すると、
「なんで分かるの!!!!」
と、もはやエスパー扱いでした。

それならば、と思い、
「予言しまーーす」
と、今後そうなるであろうことを私が予言すると、たいていその通りになるので、私の『予言』をふたりはとても怖がりました。

「こう考えているから、こういう行動をして、結果こうなる。」

思考を読まれてしまうろう児は、「ぐぬぬ」とくやしそうな顔をしました。
私が、
「予言しまーーす」
というと、
「ギャーー!!やめて――!!!」
とやりあうのは定番のやりとりになっていました。
ふたりが悪さを考えている時や、反省していないであろうときによく使った手です。

「シオン先生の予言怖い!!だって本当にそうなるもん!!!」

本気で怖がっていたので少しかわいそうになったこともあるほどです。
私は聞こえないふたりの思考を読んだだけです。
化け物扱いしないでほしい。

私のやり方は良かったかどうか分かりませんが、ろう児には、「理解して見守ってくれている人がいる」ということを感じて欲しかったのです。
ろう児(ろう者)の思考は長年関わっている人でないと理解しづらいものです。
「聞こえない人のことを理解している聞こえる人もいる」ということを実感してほしいという想いで日々接してきました。
「聞こえる人にはどうせ分かってもらえない!」という思いだけは持ってほしくなかったのです。
もちろんいつもがんじがらめにしていたわけではなく、状況に応じて気をつけながらふたりの思考を読んでいた私です。

さらに言うと、『予測する』という考え方もろう児に知ってほしかったのです。
予測する力が弱く、なんでも行き当たりばったりな性格だったふたり。
これは聞こえる聞こえないに関わらず、ほとんどの子どもがそうなので、大人が教えてあげるべきことだと思いました。
特に聞こえない子どもはこういった「考え方」を知る機会がほとんどありません。
『予測する』ということを、私は聞こえる学校の中で手話でふたりに教えました。

「ろう者は見る力がある」ということを言う人がいますが、私はこう答えるようにしています。
「人によります」と。

しかしアドバイスを受けたりいろいろと経験していく中で、見る目は養われていくかもしれません。
聞こえない子どもたちには様々な意味も込めて、「見る目」を養ってほしいと私は願いっています。