コーダ☆マインド

耳の聞こえない親を持つ聞こえるシオンが考える、コーダのことや手話のこと。

コーダの私が手話通訳者になるまで その6

f:id:codamind:20210603152317p:plain

「コーダの私が手話通訳者になるまで」を書いてきました。
『その5』で終われそうかな?と思っていたんですが、書き進める中で、自分でも意外なほど重要なポイントがいくつもあったことに気づき、改めて「手話通訳者になるのって大変だわ……」と感慨深く思っています。
私が手話通訳者試験に合格できた理由に関係のあるポイントがあといくつかあるので、良かったらお付き合いください。
今回書いている部分は、私個人の環境が大きくウエイトを占めています。

全国手話通訳問題研究会

都道府県に支部のある全国手話通訳問題研究会。
略して「全通研」。
手話に関わっている方なら、その組織の名を聞いたことがあるのではないでしょうか。
試験にも「全通研」のことが出題されることがあります。
地域差はあるかと思いますが、私の地域では全通研が活発に活動しています。
私は手話を学び始めて3年目のときに入会しました。
一番はじめに、聴覚障害者情報提供施設へ「手話通訳者になりたいのですがどうしたらいいですか?」と聞きに行ったことを以前の記事で書きましたが、その時に「支部だより」を「良かったら参考にしてね」といただいていました。
その「支部だより」は今でも大切にしています。
事あるごとにその支部だよりに立ち返り、読み返し、気持ちをリセットしています
「敷居が高い」と思っていた組織なので、当時は入会をためらいました。
しかし会員の方に何度か声掛けしていただいたのと、今後手話を学び続けるために必要な情報を得たいとの思いで、入会を決意しました。
全通研に関しての印象ですが、地域差や個人差が大きいということは、ここ数年活動してきて分かりました。
もしかしたら人によってはあまり良い印象を持っていない方もいるかもしれません。
しかし私にとっての全通研は、重要で必要な場所でした。
手話を学び出してから、
「手話に関わる聞こえる人ってこんなに大勢いるのか……!」
と驚き、その最たるものが「全通研」でした。
コーダの私は、「全日本ろうあ連盟」や地域の「聴覚障害者協会」の存在は幼い頃から知っていましたが、「全通研」の存在は全く知らなかったのです。
「もっと早く知りたかった!聞こえる人たちが集まる組織があったなんて…!」
 聞こえる側から聞こえない人たちのことを考える「全通研」で私は活動を始めました。
「見えない壁に苦しんだり、偏見や誤解と戦ったりしている聞こえる人は私だけではないんだ…!」
とても頼もしい存在だと思えたのです。
年代、性別、職業、地域が違っても、「手話」や「聴覚障害者に関すること」で話せる仲間たちの存在は、今でも私の力になっています。
「全通研」があったから、今の私がいると言い切れます。
「全通研」にはとても感謝しています。

www.zentsuken.net

私がコーダであること

これは正直重要なポイントだと自分でも思っています。
ただ、私はもともと手話が嫌いで手話ができないコーダでしたので、5年間の学びは私自身にとっては必要なものでした。
「親から手話を教えてもらえるんでしょ?」
と言われたことは何度もありますが(通訳者になった今でも言われます)、何度聞かれても答えは同じです。

「教えてもらえません。」

もしもうちの親が手話を教えられる技術や知識を持っていたら、私はおそらく「手話ができるコーダ」に育っていましたので、もっと短時間で手話通訳者になれたかもしれません。
そもそも手話通訳者にはなりたいとは思わなかった可能性もあります。
「手話ができること」と「手話通訳ができること」は全く違うので、「手話通訳者養成講座」は重要な学びの場だと思っています。
講座では手話通訳者としての心構えや倫理、社会福祉制度や対人援助についても学びますしね。
そういったものは、家庭での親子の会話では出てきません。

ここまで書きましたが、「コーダであること」が、私が手話通訳者になれたことの要因のひとつであることは否定はしません。
ただ、「コーダだから手話通訳者になれたわけではない」ので、そこの誤解だけはしないでほしいのです。
(このあたりも今後の記事で書きますね)

仕事で毎日手話通訳をしていた

小学校で難聴児教育支援の仕事をしていた私は、毎日長時間、手話通訳(情報保障)を行っていました。
(小学校の教科書全教科1年生から6年生まで、ほぼ全て手話で読むことをしてきました。)
小学校の教科書って本当にすごい学習教材です。
どちらかというと、この6年間は「手話通訳士試験」の方に役立ったかなと思いますが、日々ものすごい量の手話をし続ける環境でした。
「こんなに一日中手話してるのは世の中で私くらいかもしれない…。ろう者だってこんなに手話しない……」
と真剣に考えた時もあるくらいです。
毎日の仕事でとにかく手話通訳ばかりしていましたので、寝ている間に夢の中でも手話通訳をしていたときは、休んだ気にならず、本当に参りました……。
しかし、仕事を通して様々な教科の話題に触れる事ができ、ことばについても深く考えさせられる日々の中で、確実に「手話通訳経験」を積み重ねる事ができていたのは確かです。
これは、試験に合格できた大きな要因だと自分でも思っています。

おまけ

余談なんですけどね。
私が手話通訳者を目指して講座に通っていた頃は、テキストが変わったり講座の名称が変わったり、いろいろと変革期だったのかと思います。
私は統一試験に合格したので手話通訳者として登録し活動し始めたのですが、その後こっそり言われたことがありました。

「もう1年講座が残っていたんだよ」

……はい?

どうやらその当時の講座カリキュラムでは、本来私はもう1年学ぶ必要があったそうなんです。
そのカリキュラムを受ける前に試験に合格してしまったので、結果的に私はそれを受講することはありませんでした。

さいごに

たくさんのことを経験し、学び、私は手話通訳者になることができました。
全てが良い経験だったと思います。
学び続けることで、人としても成長できたように感じています。
どういった部分が成長できたのか、そのあたりはまた今度書きたいと思います。

<この記事は2020年6月に書いたものを編集しています>