コーダ☆マインド

耳の聞こえない親を持つ聞こえるシオンが考える、コーダのことや手話のこと。

コーダはコーダに会いたくなる

コーダに会いたい

私はかつて、「とにかく自分以外のコーダに会ってみたい!」と強く思っている時期がありました。

私には弟がいますが、弟は「コーダ」ということばには特に興味を示すことはなく、実は手話ができません。
(「手話ができない」と自分で勝手に決めているように私からは見えるんですけどね)
弟以外のコーダに会って話をしてみたいという気持ちは私の中でどんどん大きくなりました。

幼い頃ころに、同世代のコーダや耳の聞こえない子どもたちと遊んだことをうっすら思い出すことがあります。
まわりには聞こえない大人たちがたくさんいたのを記憶していますので、何かのイベントだったのかもしれません。
私にとって、聞こえない人たちの中にいることは、自然で居心地の良い場所でした。

しかし思春期の頃にはそんなことも忘れ、聞こえる世界(学校)で必死に生きていました。
聞こえない世界は家の中だけでした。
私は手話がほとんどできないまま大人になり、いつしか手話が分からなくなってしまった私は、手話が大嫌いになりました。

しかし、ある時コーダと言うことばを知ったときから、自分と同じ聞こえない親を持つコーダにどうしても会いたくなったのです。

大人になってからコーダに会ったことの無かった私は、コーダに会えるように行動を起こしました。
その後、さまざまな出会いがあり、現在(2020年)は、自分でも驚くほどのコーダの友人が増えたのです。
コーダたちとはLINEでも繋がっているのでいつでも連絡が取り合えます。
何かあれば、いつでもコーダたちに話をします。
コーダたちと何度も会って同じ時間を過ごすうちに、兄弟のような親戚のような、友人のような関係になっていて、私の中ではコーダたちがいない人生はもう考えられないようになっています。

コーダたちの存在は私の大切な心の支えです。

コーダだって共感したい。
コーダたちの話は聞いても聞いても飽きないのです。
「あー、あるある」
「それ、うちもです」
「そんなこともあるんだ」

似ているようで同じではないコーダたちの経験。
まるで自分を見ているようだけど、自分とは違う経験。
コーダたちの聞こえない親に対する想いが自分の想いと重なる瞬間。

聞こえる親の聞こえる人たちばかりの世の中で、コーダが自分と同じ“位置”にいると心から思えるのはコーダだけなのです。

生い立ちに共感されたこともなければ、コーダは共感したこともほとんどないのでは。

「自分と人は違う」

どうしてもそんな風に考えてしまいがちです。

コーダがなんとなく抱えている想いがあります。

「分かって欲しい」という想い。
「聞こえる親を持つあなたに一体何が分かるの?」という想い。

 この二律背反な想いが複雑に絡み合い、コーダの心を混乱させます。

そんなコーダが「自分と同じだ」と安心して心を許せる相手、それがコーダなのです。

例えば友人や親戚に聞こえない親のことを話すと、「大変だね」と言われたり、「仕方が無いじゃない」と言われたり。
 耳の聞こえない友人の親は聞こえる親だし、デフファミリーの子はその子自身が耳が聞こえないのです。
自分と同じ、聞こえない親を持つ聞こえる人にはなかな出会えません。

コーダの心の霧が晴れるとき

ほんの少し話をしたいだけなのに、コーダの心はいつもすっきりすることが無いように思います。
聞こえない親の話題は日常ではタブーのような感じになっていますし、「話しても分かってもらえないだろう」と思ってしまっています。
話したところで、「大変ね」と言われてしまうのです。
ただただ話を聞いて欲しいだけなのに。

けれど、相手がコーダの場合、
「大変だけどしょうがないよね、親は聞こえないんだもんね。」
とあっさり言われたとしても、
「そっかー、そうですよね。」
と、不思議と心にストンと落ちるのです。

ろう者に言われても、聴者に言われても、どこかすっきりしなかった自分の心の中の霧が晴れていくような感覚を覚えます。

「私は何をこんなに悩んでいたんだろう……」

そして、自分と同じような経験談や自分と同じような考えを聞くことができるのです。
さらに心の中の霧が晴れ、なんだか元気が湧いてきます…!!
だからコーダはコーダに会いたくなるのです。
わがままな感情なのかもしれません。
ろう者や聴者でも、コーダのことを理解してくれようとする人はいます。
助けてくれようとする人もいます。
もしかしたら、私たちコーダが心に壁を作ってしまっているのかもしれません。
でもその心の壁を作る必要のない相手、自然体でいられる相手、それがコーダにとってはコーダなのです。

いささか自論を展開し過ぎた感がいなめませんが…。
きっと共感してくれるコーダがいてくれることを信じて、私はコーダのことを今後も書き続けたいと思います。

 <この記事は2020年5月に書いたものです>