コーダ☆マインド

耳の聞こえない親を持つ聞こえるシオンが考える、コーダのことや手話のこと。

コーダって何? Children of Deaf Adults

f:id:codamind:20210905142410j:plain

コーダって何?

耳の聞こえない親を持つ聞こえる子どものことを「コーダ」といいます。
Children of Deaf Adults の C・O・D・Aを取ってコーダです。

Children (子供)
Of(~の)
Deaf(ろう)
Adults(大人)

音楽用語の「コーダ」の意味も入っているそうです。
曲の本章がなくては成立しない。
でも、本章と同じにはならない。
そうなんです。
聞こえない親がいなくてはコーダは成立しません。
そして、コーダは「聞こえない親と同じ生き方ができない」ところが特徴としてあげられます。
「聞こえない世界を生きる親」と「聞こえながらも、聞こえない世界と聞こえる世界の両方を行き来しつつ、聞こえる世界を生きる自分」との違いを感じながら、大人になっていきます。

ちなみに、両親のどちらかが聴者であっても、聞こえない親を持つ聞こえる子どもですので、コーダになります。
「片親は聞こえているんだからコーダではない」
と言う人がいるようですが、そんなことありません、コーダです。

しかし、両親が聞こえないコーダと片親が聞こえないコーダでは、抱える問題が違ってくることがあるので、コーダ同士でもそこは理解し合いたい部分です。

聞こえるんだから別に問題ないんじゃないの?

コーダは耳が聞こえています。
しかし、コーダの親は耳が聞こえません。

「聞こえない人が大変なのは分かるけど、コーダは聞こえているよね?」

コーダは聞こえているので、一見何の問題も無いように見えます。
しかし、世の中には苦しんでいるコーダが実際にいます。
私も事実、つらく苦しい時期を過ごしてきました。

自分の抱える気持ちをどこにも話すことができないコーダ。

自分はなぜ、こんなにも他の人と違う環境で生まれてきたのか悩み苦しむコーダ。

コーダの抱える問題は、簡単に一言で言い表せません。
聞こえないということの困難さがなかなか理解されにくいので、聞こえない親を持つコーダの抱える困難さはさらに理解されにくい現状なのです。

目に見えない「ことば」や「心」の問題。

コーダ当事者がその声をあげることはほとんどありません。
どんなにコーダがコーダのことを理解してもらいたいと思っていても、厳しい現状なのです。
聞こえない人の存在がマイノリティであるように、コーダの存在もまたマイノリティです。
もちろん、理解を示してくださる方もいます。
コーダのことを知りたいと言ってくださる方もいます。
そのような状況ではあるのですが、実はコーダ自身がコーダのことについてよく分かっていないという現実があります。

コーダに関する資料や情報はあまりありません。

「今までのコーダはどうやっていきてきたのだろう?」

ふとそんなことを思うことがあります。
「ろう児が大人のろう者に会ったことが無く成長していくケース」の話はときどき耳にしますが、コーダも同じです。
「コーダが大人のコーダに会ったことが無い」のです。
大人どころか、コーダに会ったことの無いコーダがいます。
「自分と同じ境遇の人」に出会うこと無く、悩んだまま大人になっていくケースがあるのです。

コーダは自分の気持ちを押し殺して、耐えて、いつのまにか大人になっていくことが多く見受けられるように思います。
そして、コーダ全員が悩んでいるかといえば案外そうでもなくて、たいして悩んでおらず、明るく生きているコーダもいます。
コーダもいろいろです。
しかし、コーダが自分以外のコーダのことを知ることは大切かもしれません。
ろう者が自分以外のろう者のことを知って学ぶのと同じように。

コーダ自身が「コーダ」を知らない

・コーダ当事者がコーダについてよく分かっていない。
・コーダ当事者が「コーダ」ということばすら知らない。

これを書いている現在は2020年(令和2年)ではありますが、まだまだ「コーダ」は知られていません。
私がこのブログを始めたきっかけのひとつに、「コーダ当事者にコーダのことを知ってほしい」と思ったから、ということがあります。
コーダ自身がコーダを知り、コーダを理解し、そして自分を知り、ほんの少しでも楽しく生きてほしいと思ったのです。
以前の私は、「私は何のとりえもない。聞こえるからろう者にはなれないし、他の聴者とも違う。」そう思い悩みつづけてきました。
手話も大嫌いでした。

私はここ10年ほどの間に、手話を学び、ろう者の歴史を知り、ろう文化を改めて理解し、コーダを知り、現在の私は以前とは比べものにならないくらい、自分らしく生きることができています。
自分がコーダだと知り、理解することで、どこにも居場所が無かった自分の居場所がようやく見つかったのです。
その時のうれしさは、一生忘れることができません。

「私はコーダなのだ」

アイデンティティーをようやく得ることができたのです。
もしも今悩んでいるコーダがいたら、「大丈夫。あなただけじゃないよ。」と言ってあげたいと思っています。
そしてこのブログを通じて、この気持ちがどうかコーダに届くことを願っています。

「親が聞こえなくてかわいそう」
コーダなら言われたことのあることばではないでしょうか。
果たして本当にかわいそうなのでしょうか?
コーダ本人が、「私(俺)ってかわいそう」と思っているのでしょうか。
家庭環境や個々の性格の違いなどありますので一概には言い切れませんが、コーダにとって親が聞こえないのは当たり前のことです。
「かわいそう」ということばは、世の中から言われることばなのです。
聞こえることが当たり前の世の中で、聞こえないことは不利になることがありますが、聞こえないことは悪いことばかりではありません。
聞こえない親のもとで育ったコーダからしか見えない世界があるのです。

「コーダを知ってほしい、分かってほしい」

私のようなコーダがこのように思ったとしても、なぜだか世の中はコーダに対してマイナスのイメージしか持ってくれないようにも感じています。
コーダの持つユニークさを知ってもらいたいと私は考えています。

・聴こえない人の気持ちが分かる
・聞こえる人の気持ちも分かる
・どちらの気持ちも分かりたくないときがある
・聞こえない人からも聞こえる人からも、不思議がられる。←NEW!

コーダの心境はコーダにしか分からないのかもしれません。
ちょっぴり複雑さも混じっています。
でも、コーダはつらいだけではなく、聞こえない親と過ごしてきて、楽しいこともたくさん経験してきているんです。

コーダの世界

・お父さんとお母さんは耳が聞こえない
・家の中では手話をする
・だけど私は耳が聞こえる

これが当たり前の世界で私は生きてきました。
これが世の中では当たり前ではないことなのだと意識し始めた時に、コーダの世界が見え始めてきます。

「私にとっての普通は、聞こえない人にとっての普通と、聞こえる人にとっての普通のどれにも当てはまらない。」

コーダから見える世の中の様子、コーダだから感じ取れること、コーダだから分かる手話の良さ。
それって、もしかしたらコーダ以外の人には気がつきにくいことかもしれません。

コーダの中にある、『聞こえない世界』『聞こえる世界』『コーダの世界』の3つの世界。
この3つの世界を自由に生き来するコーダは、とても豊かでユニークだと思いませんか?
私シオンの主観が強く入ったものにはなりますが、今後このブログでコーダのことを少しずつ紹介していけたらと思っています。

 

<この記事は2020年5月に書いたものです>