さまよえるコーダたちへ
ポジティブコーダ、ネガティブコーダ。
いろんなコーダがいますけれども、コーダが取り上げられるとき、どうしても「悲劇のヒロイン」や「感動ポルノ」風に仕立て上げられてしまう気が否めません。
コーダってかわいそうなの?
聞こえない親を支えているコーダって、感動的なの?
私個人としては、「まぁ、そういう見方もできるかもね」くらいで、
「実際は違うんだけどなぁ」
と毎回つぶやいてしまいます。
コーダは普通の存在だし、特別なことなどなにもありません。
親が聞こえないことは普通のこと。
手話を使うのは普通の日常生活。
「ろう文化」と「聴文化」は確かに違うけど、普通に切り替えて対応するのは普通のことだし。
これが今の私の感覚。
大人になるまで(あるいは大人になってからもありましたけど)、
「なんでほかの人と違うんだろう」
と悩んだ時期も確かにありましたが、現在の私はさまようことから抜け出せたと言えるのかもしれません。
いまださまよえるコーダたち。
苦しみから解放されないコーダたち。
コーダの心が救われるのは個人差があると思います。
「救われる方法は?」の問いへの明確な答えはありませんが、これだけは言えます。
「いろんなコーダの話を聞いてみてほしい。」と。
自分と似たような経験、あるいはまったく想定外な経験。
コーダたちの経験談は、自分の経験では無いけれど、まるで自分のことのよう。
心の霧が晴れていく感覚を、コーダ同士で感じあえたその瞬間は、自分がコーダであることを再認識し、自分のことも親のことも、ほんの少しかもしれませんが許せると思います。
社会に対する想いも変化していきます。
コーダの苦しみを解放できる特効薬はありませんが、コーダであることを楽しむ方法はきっとあります。
コーダがいままでコーダのことを語ってこなかったのは、語らなくても大丈夫だったからなのでしょうか。
そうではないと思います。
ではなぜ、今までのコーダたちはコーダとしての想いを語ってこなかったのでしょうか。
最近ちょっと気になっている部分です。
さまよえるコーダたち。
どうかどうか諦めずに生きてほしい。
自分の良いところを見つめ直してほしい。
自分の強みを改めて確認してほしい。
自分をもっと褒めてあげてほしい。
自分の経験を生かして、楽しく強く生きてほしい。
コーダはもっともっと自信を持って、胸を張って生きてもいいのではないでしょうか。
あくまでも私の経験と主観に基づいて、私なりに記事を書いています。
コーダがみんな同じような経験をしているわけではありません。
コーダの想いは様々です。どうかご理解いただけると嬉しいです。